どうなる?供養塔 道路拡幅で文化財の移設を巡り現地視察 島原大変の犠牲者を追悼【長崎県島原市】
テレビ長崎
島原市で市の文化財にもなっている災害の教訓を伝える供養塔の移設をめぐり、現地で市の担当者や警察などが視察を行いました。 島原市中堀町のアーケードの一角にある「宝篋印塔型 流死供養塔」です。 島原市では江戸時代の1792年、地震で眉山が崩壊し、その結果発生した津波で大きな被害が出た「島原大変」があり、この供養塔は犠牲者を慰霊するために翌年に建てられました。 島原市の史跡に指定されていて、毎年近くの住民が供養祭を営んで教訓を伝え続けています。 島原市は交通量の増加を受けて、そばにある市道の拡幅を進めています。 しかし、供養塔がドライバーの視界を遮るとして、移設すべきか警察に判断を委ねたいと、関係者を交えて現地視察が行われました。 島原市の文化財保護推進室はすでに上屋を撤去し、一定の見通しは確保できたとしています。 島原市教委文化財保護推進室 大津 英稔室長(学芸員) 「できたら私たち文化財保護の立場としたら、この場所で守っていきたい」 災害の記憶をつなぐ文化財をどのように残しいかしていくのか、拡幅工事は2027年度の完成予定です。
テレビ長崎