「普通の家族に戻る。それだけで2年もかかった」ウクライナ避難民のダンサーが語る「祖国が戦場になる」ということ
「私たちにとっては、侵攻ではなく戦争」。領土を守るため戦う選択をしたゼレンスキー大統領を支持し、ロシアの撤退を願っている。 ▽再来日 再び来た日本では、サーカスでパフォーマンスをしながら、一人で子育てもしなければならない。夕方に公演が終わると、コンテナハウスから歩いて約40分の公園にマキシム君を連れて行く。 遊び終わったら、スーパーへ買い物に。ゆっくり休めるのはマキシム君が寝入ったあとの2時間ほどだ。夫とは毎日、ビデオ電話で連絡を取り合う。 「来日した当初は、私は強いから平気と思っていたけど、1年もたつとかなりきつくなった。だけど、ステージに立つと『生きている』と感じる」 数カ月ごとに各地を巡業するため、サーカス団員たちを大きな一つの家族のように思う。 徳島公演は2023年12月~今年2月まで。徳島市で休日を過ごす時は、市内の「阿波おどり会館」を訪れたこともある。「ダンサーとして興味深い」と、一緒に踊って楽しんだという。
かつて大分や佐賀で公演をした時に友達になった観客が、徳島まで公演を見に来てくれたこともあった。「こんなことをしてくれるのは日本人だけよ」。素直にうれしかった。 ▽祖国はまだ戦乱 昨年5月、1カ月間の休暇を取り、ウクライナに戻った。テルノピリ州にいる夫や母親、姉に久しぶりに会えてうれしかったが、毎日のように避難を促す警報が鳴り響き、状況は変わっていなかった。 「今この瞬間に、ロシアに核兵器が使われたらどうしようと心配でたまらなかった。もしそんなことが起これば、ウクライナに戻る選択をした自分を、一生許すことができなかったでしょう」 ▽移住先はカナダ サーカスとの契約は2月に終わる。3月からは、日本でも祖国でもなく、カナダに移住することに決めている。バシルさんの出国許可も、何とか取れた。 カナダに縁はないが、移民が多く、英語が使える。日本では、夫バシルさんが一から日本語を学んで就職するには厳しいためだ。
カナダでもダンサーを続けられるかは未定だ。バシルさんはコーヒーメーカーの修理工に就く。ウクライナでは銀行でのIT系の仕事だった。頼れるつてはなく、難しい決断だった。それでも、2年ぶりに家族3人で暮らせることに胸を弾ませる。 マキシム君の出産から1年後、もう1人、年の近い子どもが欲しいと思っていた時に侵攻が始まった。できればカナダで娘を産みたい。「ようやく普通の家族のような生活が送れる。本当に楽しみで仕方ない」