ヒオカ 貧困を経験した中川家さんや河井ゆずるさんに学ぶ「高いものを食べても落ち着かない」「偽善と言われてチャリティーが使命」
◆常にお金の不安に支配されている 私はここ数年は、以前のように少しの出費で生活が破綻する、というほどの極限状態は脱した。 それでも、やっぱり奨学金の返済もあるし、いまだに経済的にはギリギリの生活で、あらゆる支払いを滞りなく済ませることで手一杯だ。身体が弱いので医療費の負担もかなり大きい。月末、支払いの金額を確認。今月働いた分が振り込まれても、すぐに家賃に消え、年金や健康保険料に消え、奨学金の支払いに消え……。 フリーランスなので、働かなければその分給料は減る。絶対に体調を崩せないし、精神的に滅入るときがあっても、働き続けなければならない(様々な事情があり、会社員になることが今は難しい)。 いつか預金残高が底を尽きて、支払いができないときがきたらどうしよう。そんな不安がいつも付き纏う。 そんな綱渡りのような生活だからか、極貧状態の時身に付いた貧乏根性がまだ抜けない。一つの商品を買うにも、最低4つくらいの通販サイトを横断して徹底的に価格比較するし、ドラッグストアやスーパーを何件も回る。服はセールになるまで絶対に買わないし、フリマサイトで中古で買うことも多い。何が何でも定価でものを買うものか!と思っている。 外食するのははばかられるし、映画のチケット代も高く感じて全然行けていない。お金持ちになりたい願望もお金への執着も弱い方だけど、人並み以上に稼げるようになりたいとは思わなくとも、お金の不安から解放されたいとは強く思う。常にお金に追われ、お金の不安に支配されている感覚が抜けない。
◆お金に対する価値観 河井さんは、お金に対する価値観を次のようにも語っていた。 「仮に何百億円、何千億円持っていても、死んだら向こうの世界には1円も持っていけないじゃないですか。仲間や仕事に恵まれて、その延長でお金があって、死んでいくのがいいなと僕は思うんです。お金があるから続いている人間関係で満足するならそれでいいと思うんですけど、僕はそうじゃないんです。例えば、お金が急になくなったりしたときに、一緒に人もいなくなるような年の取り方はしたくないと思います。」(mi-mollet「売名と言われてもいい」貧困家庭で育ったアインシュタイン河井ゆずるが児童養護施設への寄付を続ける理由) フリーランスは仕事を選べるというけれど、実際は違う。仕事を選べるのは、ある程度お金に余裕のあるフリーランスだけだ。生活していくために必要な最低限のお金を稼ぐためには、当然やりたくない仕事も引き受けなければならないし、信念を曲げないといけないことだってたくさんある。それによって、心が削られている感覚がある。お金の稼ぎ方も、使い方も、信念や理想を持って、それを貫けるようになる日はまだ遠いのかもしれない。 正直、今の私には誰かのためにお金を使うという未来はまだ想像できない。でも、河井さんは売れる前からいつかは寄付をしたいと思っていたのだそうで、頭が下がるし、お金の稼ぎ方や使い方の信念に筋が通っていて、かっこいい、と心から思う。私も困っている人のために寄付をしたいと思うことはある。果たして、お金に余裕ができたら、私は誰かのためにお金を使おうと思えるだろうか。今はまだ思い描けない未来を、少し想像してみたりする。
ヒオカ
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