政府から3600億円の要求!?…念願の「社長」になった直後に葛西敬之が直面したヤバすぎる「債務問題」
直面した年金債務問題
黒野は97年7月、運輸省航空局長から事務次官に昇進していた。そこで年金債務問題に直面する。次のように説明を加えた。 「国鉄清算事業団の債務処理は、98年度に実施する、と97年12月に閣議決定しました。だが、それは結局、政治、行政、誰ひとり火中の栗を拾わなかったということ。俺たちはやらず、次の人にやってもらうという非常に巧妙な先延ばし策でした。私はたまたま運輸省の事務次官になったので、逃げられませんでした。そこでたとえば債務処理では、国家公務員の共済の年金基金から入れるとか、税金の投入とか、いろいろ検討しました。一方で、当時のJR3社はどこも経営の調子がよかった。そうして政治的な判断として、調子のいいJRからもう一度負担させるべきだ、となったわけです。これには、土地や株を売り逃がした国の責任じゃないか、とJR側が反発しました。メディアの方たちもみなJRの主張に乗って反対の旗を振っていました」 国鉄清算事業団の年金債務問題は少々ややこしい。国鉄改革の際、長期債務を切り離すためにつくった清算事業団が抱える年金債務を再びJRに負わせていいものか。与党自民党のなかでも賛成派と反対派に割れ、JR本州3社も一枚岩にならなかった。 政府は10月に予定されていた清算事業団解散を控えた長期債務処理の一環として98年1月、「旧国鉄債務処理法案」(日本国有鉄道清算事業団の債務等の処理に関する法律)を国会提出した。法案提出時の政権は、国鉄改革のとき運輸大臣だった橋本龍太郎内閣だ。ところがその橋本政権が折からの金融恐慌に見舞われ、7月の参院選で惨敗して退陣する。そして急遽、後継首相に決まった小渕恵三の政権に国鉄の年金債務問題が持ちこされた。
JRの猛反発
秋の臨時国会までには国鉄の債務処理法案を成立させなければならない。だが、政府与党の法案にJR東日本をはじめとした各社が猛反発した。おまけに橋本内閣時代の官房長官だった梶山静六まで与党政府案に反対を表明し、党内が大分裂して大騒ぎになっていく。 このときJR東日本に味方し、「有志の会」を結成して若手の反対派議員を取りまとめたのが、当選一回生だった菅義偉である。菅たちは“JR十三人衆”と呼ばれた。JR東日本常務やルミネの社長を歴任してきた花崎淑夫に、菅のイメージについて聞くと絶賛した。 「菅さんは年金債務問題のとき、当選1回生の若手自民党議員たちを取りまとめ、われわれの意見に賛同してくれました。すでにJR東日本は民営化して株式上場も果たしていました。私は株式上場の責任者でもあり、株主から2兆円を集めていました。一方で、清算事業団は20兆円以上の価値ある土地をバブル期に売り逃してきた。それでいて、あとから負担しろはないでしょう。われわれは当たり前のことを言っただけ。賛同してくれた菅さんたちのおかげで、あの野中(広務)さんを相手に政府案に反対する声が増えていきました。あとから河野太郎さんや下村博文さんなんかも加わって、反対する議員が13人ほどになったのです」 08年11月26日付の日経新聞「私の履歴書」には、JR東日本の相談役に退いていた松田が当時を振り返り、苦境を吐露している。 〈追加負担により事業が悪化すれば、今後のJR株の売却益も減少し、国家財政に悪影響も与える。何よりも国鉄を駄目にした「政治介入」の再来を懸念した〉