「そろそろ家庭に入りたい」…伝説のストリッパーが人気絶頂期に「引退」したかった衝撃の理由
10日間の引退公演
これ以上脱いだら実刑になって刑務所に行かねばならない。一条ははっきりと意識していた。舞台では歓喜の表情を忘れなかった彼女も、たび重なる逮捕で精神的には限界に近かった。最高の人気者となったぶん、その人気が衰えることへの恐怖心もあった。歳を重ねて張りのない肌をさらし、人気の面で若い踊り子に抜かれる事態を想像したくはなかった。逮捕と人気衰退。両方の恐怖心にさいなまれた。 意を決して事務所に、「もう辞めたい」と伝えると、事務所経営者の中谷は一条の意志が強いことを知り、了解した。ただ、最後に1回、大きな引退公演をやらせてくれと一条に頼んだ。 中谷は自身が経営する大阪・港区のダイコーミュージックでラスト公演を開こうと計画している。ただ、一条は引退するなら、世話になった吉野ミュージック劇場と決めていた。72年4月16日から5日間、ダイコーに出て、5月1日から10日間、吉野で引退公演を開くことで決着する。 一条は夫の吉田と2人で72年4月、大阪・西成に寿司屋を開いた。ファンの来店をあてこみ店名を「一条」とした。引退公演の1ヵ月前である。開店にあたり、一条は「吉野」の経営者から200万円を借りている。 警察に目を付けられる生活から、ようやく抜け出せそうだった。 『「伝説のストリッパー」を見せしめに…過激化するストリップにお灸を据えたい警察の衝撃的な「計画」』へ続く
小倉 孝保(ノンフィクション作家)