ミスタータイガース・掛布雅之が語る<阪神の四番問題>。「私の引退後、長く本物が育たなかった原因はズバリ甲子園球場にある」
2023年シーズン、阪神タイガースは1985年以来、実に38年ぶりの日本一に輝きました。「ミスタータイガース」の愛称でファンに愛され続ける掛布雅之さんは、ここまでの阪神の歩みをどのように振り返り、現在の球界をどう捉えているのでしょうか? その著書『虎と巨人』から一部を紹介します。 【写真】伝説の「バックスクリーン3連発」。1985年撮影(写真提供:報知新聞社) * * * * * * * ◆阪神の「四番打者問題」 私が引退した後、阪神タイガースには本物の四番打者が育ちませんでした。FA(フリーエージェント)で広島から加入した金本知憲が四番としてチームを引っ張りましたが、彼のような選手が生え抜きでは出てこなかったのです。 1985年のドラフトは安藤統男さんから吉田義男さんに監督が代わっても、清原和博を1位で指名しましたが、6球団の競合の末に取り逃がしました。 外れ1位は八代(やつしろ)第一高の左腕・遠山昭治(とおやましょうじ)でした。翌年以降のドラフトでも将来の四番候補を獲得してきましたが、うまくはまりませんでした。 世代交代という面では巨人に大きく差をつけられました。巨人はFA補強と絡めながら、生え抜きの中心選手で戦っていました。 私の時代の原辰徳(たつのり)から、松井秀喜、高橋由伸(よしのぶ)、阿部慎之助、坂本勇人、岡本和真(かずま)と脈々と生え抜きの中心打者の系譜が連なります。 その間、落合博満、清原和博、ラミレスら大物を補強しながら、同時に後継者もしっかり育てているのです。
◆ホームランが出ない甲子園球場 阪神の四番問題は永遠のテーマとなりつつありますが。それはマスコミ、ファンの責任もあるでしょうし、原因は一つではありません。甲子園球場という球場にも原因があると思います。 92年にラッキーゾーンを撤去した後は日本でも屈指のホームランが出にくい球場になりましたから。右翼方向へは逆風になる浜風で特に左打者には厳しい球場です。 それと、私たちの時代は内野のスタンドまでが遠く、他の球場よりファウルフライが多かったのです。 99年に就任した野村克也(かつや)監督も「ファウルフライが多い。これが阪神の打者が育たない理由だ。甲子園で打つ3割バッターは本物だ」と言っていました。 2008年の改修でファウルゾーンは他の球場と同じぐらいの広さになりました。
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