ミスタータイガース・掛布雅之が語る<阪神の四番問題>。「私の引退後、長く本物が育たなかった原因はズバリ甲子園球場にある」
◆ラッキーゾーン復活で四番打者を 甲子園球場は大好きな球場ですが、打者が育たない球場であるのは確かです。 ブレーザー監督(1979~80年)の時代にもラッキーゾーンを外そうという話になったことがありました。ただし「武器である掛布のホームランは減らしたくないので、レフトだけ外そう」となりました。 左右非対称の変形になりますが、MLBのレッドソックスの本拠地のフェンウェイパークにもグリーンモンスターと呼ばれる左翼の高いフェンスがあります。左翼と右翼が同じ広さでなくてもいいという話になったのです。結局は高校野球との絡みもあって実現はしませんでした。 私は本気で四番打者を育てるなら、ラッキーゾーンを復活させる方がいいと思っています。 ソフトバンクの本拠地ヤフオクドーム(現・福岡PayPay(ペイペイ)ドーム)もホームランテラスを設置して、ホームランが出やすくしました。 高校野球も2024年のセンバツから低反発の金属バット使用でホームランが出にくくなるでしょう。もう一度、ホームランの出やすい球場にするための改修を検討するタイミングとなるかもしれません。 打者が育つ、育たないは球場の環境もあります。1度でも30本塁打をクリアすると、周りの目も変わってきますし、大きな自信につながります。40本ともなるとなおさらです。 でも、今の甲子園球場で左打者が40本を打つのは至難の業です。2021年にルーキーで24本塁打の佐藤輝明も、東京ドームを本拠地にしていたら1年目から30本をクリアしていたはずです。
◆甲子園球場では左中間席へ放り込むイメージが必要 1986年のバース以来、阪神から本塁打王が出ていないのも生え抜きのスーパースターを出現させにくくしています。 92年のラッキーゾーン撤去後にホームランを30本の大台に乗せたのは金本(2004年・34本、05年・40本、07年・31本)、ブラゼル(10年・47本)だけで、生え抜き選手は一人もいません。 ボールの問題もあります。2000年~2010年までは反発係数の高いボールを使用しており、明らかな打高投低の時代でした。 統一球が導入され「飛ばないボール」の2011年、12年の2年間を経て、今はまたボールが少し飛びはじめていますが、金本らの時代ほどではありません。 私の小さな体であっても、阪神の四番打者として求められたのは打率3割ではなく、ホームランでした。40本を打つためにどうすればいいかを日々考えて、バットを振り続けました。 通算868本塁打の王貞治さんの日記に「センターバックスクリーンにホームランを打つイメージで打て」と記していたのが印象強く覚えています。長距離砲であっても打撃の基本はセンター返しというわけです。 でも、甲子園球場で左打者がホームランを量産するには、バックスクリーンではなく、左中間席へ放り込むイメージを持たないといけません。 打撃練習ではショートの頭の上にいい打球を飛ばすことを意識していました。打率3割で20本塁打は簡単ですが、40本以上打って、なおかつ打率3割も維持するのは甲子園が本拠地では難しいのです。 ※本稿は、『虎と巨人』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
掛布雅之
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