伊達政宗を支えた最強のNo.2…、ロバート山本が伝えたい、戦国武将3選【まとめ】
4.徳川家康を守った16歳の猛将・丹羽氏重
丹羽氏重(にわうじしげ)は16歳で亡くなった、徳川家の家臣。氏重が名を残したのは「小牧・長久手の戦い」で、羽柴(後の豊臣)秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦だ。 「本能寺の変で織田信長とその長男の信忠(のぶただ)が亡くなった後は、次男の織田信雄(のぶかつ)が後継者の筆頭となりました。そんななかで秀吉は大きな力をつけ、織田家を乗っ取ろうとする。そこで信雄は家康を頼り、『小牧・長久手の戦い』が起こったわけです」 兵力は秀吉陣営が圧倒的に上だったが、家康は要所である小牧山城を先に占拠。家康は土塁などを整備し、戦いを有利に進めようするも、秀吉方の武将・池田恒興(いけだつねおき)や森長可(ながよし)らは小牧山城には目もくれず、家康が留守にしていた本拠地の三河地方へ攻め入ろうとした。三河が攻められることになれば、家康は大ピンチだ。 「池田恒興と森長可が三河へ進む途中にあったのが、岩崎城という小さな城。城を預かっていたのが16歳の丹羽氏重でした。本当の城主は20歳ほど年上の兄・氏次(うじつぐ)でしたが、家康に従軍していて留守にしていたんです」 岩崎城を守備していた兵士は200名程度。一方の池田恒興たちが率いる軍勢は7,000名だったともいわれている。 「圧倒的な戦力差ですよ。なので、池田軍は岩崎城なんて無視して目の前を通過したんですが、丹羽氏重は『ここで見過ごすのは末代までの恥になる!』と城兵を説得して、討死覚悟で打って出ました。池田軍も、まさかと思ったでしょうね」