戦犯たちの「必死の思い」遺書をまとめたのは26人の仲間を見送った元死刑囚~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#70
いかに苦心し、心血を注いで意志を伝えようとしたか
BC級戦犯は、アジア太平洋の49法廷で裁かれている。戦犯刑務所の状況は様々で、スガモプリズンで書かれた遺書は、机の上でしたためられているが、場所によっては筆記用具も紙もない中、指を噛み切って鮮血でシャツに辞世を遺すなど、必死の思いで家族に自分の声を届けようとしたという。収録された701篇の中には、韓国、台湾出身者の遺稿も含まれていた。編纂作業の際には、韓国出身のスガモプリズン在所者が内職の収入を集めて編纂費の足しにと持ってきてくれたという。またマヌス島から帰ってきたばかりの台湾出身者が趣意書の発送などを夜遅くまで手伝ってくれたこともあり、「この書は国境も民族の差別もない」と余録に残している。 (「世紀の遺書」編集後記) 戦犯刑務所は巣鴨の外、大陸南方諸島五十余箇所に及ぶが、その大半は筆紙の所持を厳禁し、或は筆紙を与えても処刑後遺稿を没収した。また監視の目をくぐって書き遺されたものの、現地に秘匿したまま遂に持ち帰れなかったものもあり、これらの実情より見て集め得る遺稿は多くとも死歿(ぼつ)者の三分の一と推定していたが、事実は予想の二倍、七○一篇に達した。これは現在集め得る殆どすべてと云ってよいであろう。この中には最近比島マヌス島よりもたらされたものの外、他の遺稿中に記録されたもの、原本のまま遺族にも渡されず都内に保管されていたもの等、当会に於いて発見した数十篇をも含んでいる。これも固より遺族の御賛同のもとに収録したものであって、諒解を得られなかったため割愛したものは四遍に過ぎない。尚、韓国台湾出身者の分は遺族との連絡困難な為、同郷の在所者と協議の上これを収録したことをお断りして置く。 〈写真:寄せられた遺書(「世紀の遺書」より)〉 蒐集した資料は遺書以外に、日記、手記、随筆、詩歌、書翰、伝言等、少なくとも故人の心を知り得るものはすべてに亘っている。これらは便箋や旧軍用罫紙に書かれたものの外、包装紙、トイレットペーパー、莨の巻紙、書物の余白、又余白をきって貼り継いだもの等があり、紙以外にも、敷布の断片、シャツ、ハンカチーフ、板等も含んでいる。その大部分は鉛筆書きであるが、ペン書、墨書、血書等もあって、ボロボロになったものもある。これらを見るとき故人が如何に苦心し、心血を注いで意志を伝えんとしたか、またこれをひそかに持ち帰るに囚友、教誨師諸氏が如何に苦労したかが明らかにうかがわれる。 〈写真:世紀の遺書(1953年巣鴨遺書編纂会)〉