大阪でも行列の北九州「資さんうどん」 ユニクロ出身社長・佐藤崇史さんが考える「次なる最高の一杯」 一聞百見
いったんは銀行出身者が社長に就いたものの29年、当時43歳だった佐藤さんに「今後は若い人に引っ張ってほしい」と声がかかった。その日のうちに航空機のチケットをとり北九州へ。資さんうどんの店舗をまわり、食べまくった。
「どこもおいしかった。従業員に活気があり、お客さんの笑顔も最高でした。本物、本当に良いサービスは万国共通、どこでも通用する。前の会社(ソニー、ファーストリテイリングなど)でもそう思っていました。この感動を分かち合いたいと強く思いました」
社長を引き受けることを決断した。が、就任時の資さんは創業者がいなくなったことで、会社の方向性が見えにくくなっていた。
「止まった時計の針を動かすことから始めました。でも、初めから自分があれこれ言うべきではないと考え、まずは従業員みんなの話を聞くことに徹しました」
全店を巡回し、制服を着て一緒に働くこともした。やがて、いろんなことが見えてきた。部長級の幹部社員を集めて合宿をした。
資さんうどんはなぜ支持されているのか。変えるべきところがあるならどこか。議論をたたかわせる中で、経営体制変更後初となる筑豊地区への出店で意見が分かれた。
リスクをとって成長路線をとるか、安定した経営に徹するか。反対意見もある中、出店に踏み切ったところ、結果は大成功だった。さらに東京で開催される北九州市のPRイベントに出店。これも1時間半待ちの行列ができるほどの大人気で、「小さな成功を積み上げることで不安が払拭されていきました」と話す。
ただ、思い付きや気合で意思決定してきたわけではない。周到に準備し、経験豊富なベテラン社員に加え大手外食企業からの転職組の知識やスキルも生かしてきた。
「資さん流にアレンジしながら、店舗運営の仕組みやマーケティング・商品開発などをどんどん進化させて、既存店の改善を進めるとともに新規出店のハードルを下げていきました」
新型コロナウイルス禍では売り上げが激減したが、「業務の効率化で筋肉質の組織に生まれ変われました」。コロナ禍が明けると、外国人観光客の来店も増えた。一時中断していた海外進出の構想も練り直しつつある。