深夜12時に帰宅し朝4時に空港へ…日本人初メジャーコーチが告白「高校でも補欠の男」米国で壮絶苦闘
「来季の監督がボブ・メルビン氏に決まりました。お会いしたことはありませんが良い監督さんだと聞いているし、一緒に野球をするのが楽しみです」 独占公開!…日本人初メジャーコーチは3つ所有「ワールドシリーズ制覇」秘蔵リング写真 大谷翔平がアジア人初となる本塁打王と2度目のMVPとなった今年のメジャーリーグにもう一人、特筆すべき日本人がいる。日本人初の常勤コーチを務め、3つのワールドシリーズ・チャンピオンリングを持つサンフランシスコ・ジャイアンツの植松泰良氏(40)だ。裏方のブルペン捕手から脚光を浴びるコーチへと階段を駆け上がった植松氏が、メジャーの世界を語り尽くすロングインタビューをお届けする――。 植松氏はメジャーリーグのコーチでありながら、日米でプロとしての野球経験がない。それどころか高校ではベンチを温めることばかりだった。 「西武台千葉高校(千葉県野田市)で捕手をしていましたが、高校3年間、一度も公式戦には出場できませんでした。一度だけでも出場したいと思い、最後の大会では監督に『試合に出してください』と直訴したこともあります」 小学校の卒業文集には将来の夢としてメジャーリーガーと書いたほどの野球好きで野球から離れることは考えたくなかったが、プレーヤーとしての限界も見え始めていた。 「父からは大学で準硬式野球を続けたらどうかとも言われました。でも自分の中では野球に見切りをつけてほかの道に進む方向に傾いていました。野球以外なら好きな英語を学びたい。それなら数年間アメリカで英語を勉強し、日本の大学へ入ろうと思ったんです」 ◆こなした投手、捕手、トレーナーの3役 植松氏は米国への語学留学を決断する。野球選手の夢は諦めたが、英語を身に付けたら将来は野球に関わる仕事に就きたいと考えていた。それが憧れのメジャーリーグなら言うことはない。渡米後、少ないチャンスをものにしながら、少しずつ夢の実現に近づいていく。 「カリフォルニア州の語学学校時代に、知り合いからホワイトソックスのマイナーリーグでトレーナー経験がある日本人を紹介され、南イリノイ大学にアスレチックトレーナーの資格を取るよい学科があると聞いたのです。 メジャーでイチローさん、佐々木主浩さん、長谷川滋利さんなどの試合を見て、自分も同じ舞台で仕事をしたいと思っていた頃です。トレーナーならそれが実現できるのではないかと考えました」 カリフォルニア大学サンタバーバラ校を経て、南イリノイ大学に進学。トレーナーの勉強をしながらも自らチャンスを作っていった。 「トレーナーの実習生として野球部に配属されたとき、希望して打撃投手をやらせてもらったんです。高校まで野球をやっていたので、良いボールを投げる自信はありました。打撃投手、ブルペン捕手、トレーナーの3役をこなすと選手たちに気に入ってもらえ、翌年も来てくれと言われました。実習で2年続けて同じスポーツに配属されるのは異例なのですが、チームとコネクションができたのが結果としてよかった。 卒業を控えてインターンシップで働けるメジャー球団の仕事を見つけたものの、どれも条件は良くない。そこで野球部の監督に相談するとジャイアンツを紹介してくれたんです。早速、球団のGMと話すと、『ジャイアンツ傘下でトリプルAのフレズノ・グリズリーズ、(現在はロッキーズ傘下)が夏のシーズンにブルペン捕手を探しているけど興味があるか』と言うのです。チャンスだと感じてテストを受けたら合格し、2ヵ月間チームに合流できました。それからも連絡を取り続け、翌年の’07年にブルペン捕手として正式に契約を交わすことになりました」