金子恵美「自民は嫌、立憲も微妙、維新もあんまり…でも」内閣支持率低下に思うこと
国民からNOを突きつけられた自民党の行く末
また、外交面でもかなり厳しいことが起きました。大きく2つです。一つは民主党の最初の総理大臣となった鳩山由紀夫氏が発言した「最低でも県外」。これは沖縄の基地の問題で、今でも那覇の中心地にある普天間飛行場を辺野古へ移設するという決まっていたことについて、突然、辺野古以外のところへ移設する。しかも、最低でも県外に移すんだ! と宣ったのです。結果、移せるはずもなく、大騒ぎになって終わりました。これで日米関係はボロボロに。さらに、野田佳彦総理のときには尖閣諸島を国有化しました。国内では評価する向きもありましたが、中国の反発をうまく抑え込むことができず日中関係は冷え込んでしまいました。 その他にも東日本大震災が起きた際の菅直人総理の対応がひどかったことは有名ですが、それによって福島第一原発が爆発したとされる話もあるほどです。 経済も歴史的な円高をもたらし、株価も7,000~8,000円台(今は30,000円超えも実現)となり、日本を代表するメーカーが数千億円の赤字決算を発表していました。経済もボロボロでした。 これらの合わせ技によって民主党政権は3年3ヶ月で終焉を迎えます。その間に自民党は党の綱領(社訓のようなもの)から全てを作り直し、それまでの古だぬきのような議員たちを一掃し、公募によって広く候補者を募り若手の議員も増やし、「新しい自民党」を作りあげていました。そして、再び政権を奪取するのです。それが2012年。 あれから12年で再び、自民党は国民からNOを突き付けられようとしています。自民党が野党時代の谷垣禎一自民党元総裁も「下野していた時のことを思い出すべきだ」と発言されています。歴史はまた同じことを繰り返すのか、政権交代をするまでしなければ、自民党は自浄作用で立ち直れないのか。未熟な野党に政権を与えることは国家運営を危うくする、ということは歴史が証明しているのですが、全ての判断は私たち国民一人一人に委ねられています。
金子 恵美