金子恵美「自民は嫌、立憲も微妙、維新もあんまり…でも」内閣支持率低下に思うこと
2009年、民主党政権に期待されていたこと
30代後半以上の方々は記憶に残っているかと思いますが、2009年に政権交代が起こりました。長らく政権を担ってきた与党、自民党が野党に転落したのです。これは歴史的な変革で、国民は大いに期待しました。政権交代が起こった理由は、当然ながら当時の自民党に対する政治不信から来たものです。政権交代直前は1年ごとに総理大臣が、まるで回転いすのように交代するという国益を損なうことばかりしていたことにも、国民は嫌気がさしていたのです。 そして、当時の民主党(今の立憲民主党の母体)が掲げていたスローガンや政策が国民に受け入れられたのです。特に浮動票が大きく民主党に流れました。まず、民主党が掲げたスローガン「コンクリートから人へ」は、当時の自民党は公共事業ベッタリで建設会社とつるむ諸悪の根源であり、これからは人材・教育への投資をすべきだ! というものであり、国民にとってはとても新鮮に映ったようです。さらに掲げた看板政策はバラマキ4K(と、自民党側は批判した)と評されましたが、子供手当、高速道路無料化、高校授業料無償化、農業の戸別所得補償制度は国民から大きく期待されました。 私が当時、ベテラン議員から聞いたのは「あの選挙の投票日、投票所で目にしたのはこれまで何十回と見てきた光景とまるで違う層が投票に来ていたこと。それはベビーカーを押している若いお母さんたち。この人たちが『子供手当』に期待して投票所に来ていたのをみて、やられたな、と思いました」という総括でした。これが全てではないでしょうが、子供手当を含む民主党4Kは大きく国民の心に刺さったのです(しかしながら、これらは長期的に持続はしなかったのですが……)。 自民党が「これらの政策を実現するための財源(お金のことね)はどうするんだ!」と問い詰めたところ、民主党は「霞ヶ関には埋蔵金がある」といって「事業仕分け」を行いました。経済産業省、文部科学省、厚生労働省など各省庁の役人を呼びつけて一つ一つの事業について必要性を問い、彼らの判断でバサバサと無駄(と彼らが思ったもの)をカットしていったのです。しかもその様子をテレビカメラを入れて中継させたりしながら。これで一定の財源を捻出できたのですが、当初掲げていたような大きな額を生み出すことができず、結果的に財源(お金)がないから民主党の政策は実現されずに終わりました。