サッカー海外留学、スペインで「橋渡し」する名門高校出身の元選手の思い 「親が行かせたくて、本人は…」厳しい現実も
スペインと日本のサッカー界をつなぐ「橋渡し」としての役割を10年以上も続けている。 ■どうしてスペインへ?佐藤陽介さんのサッカー歴 佐藤陽介(41)は笑って話す。「やっぱりスペインが好きだから、ですかね」。自らの夢を追いかけて飛び込んだ地で、今は若者の夢を支える立場になった。 佐藤はスペイン・バルセロナに在住し、日本からのサッカー留学を目指す選手、遠征や試合を希望するチームを受け入れ、現地での滞在をサポートしている。夏休みなどの長期休暇を利用する学生や短期滞在のチームの場合は、ホテルを手配し、試合の相手を見つけ、期間中の行動をコーディネートする。 スペインでのプロ入りを目指して挑戦する若者には、まずは住居などの生活環境を整え、クラブチームへの練習参加や入団テストなどの段取りを手伝う。 「留学の場合、日本でプロになれなかった選手の再スタートという形が多い。僕は代理人ではありません。スペインで自分を見つめ直す機会をつくる、という環境を準備できればと考えた」 これまで関わった人数は数百人を超える。留学を経てスペインの下部リーグで活躍した選手や、他国へ移籍してプレーする選手もいる。日本では伝わりにくいサッカー留学の事情について、佐藤は説明する。 ■スペインのサッカーは組織的 「スペインのサッカー界はピラミッド式で、いろんな指導者が見ている。例えばメッシ(アルゼンチン代表)のような才能を持った選手なら、10部でプレーしていても、数試合ですぐにスカウトされて上に行ける。日本では5部と聞くと『何だよ、5部って』となりがちだけど、スペインの5部はレベルが高い。高卒でJリーグに入るような選手でも、現地に留学すれば、そのくらいのレベルからスタートすることもある」 日本では、スペインで長く活躍する久保建英(レアル・ソシエダード)の存在もあり、スペインサッカーにあこがれる子どもは多い。小学生の年代からサッカー留学を考えたい、という相談もあるという。 「スペインでは、親が現地に住んでビザ(査証)がなければ子どもは登録できない。それでも留学してくる人は多いけど、久保選手のようなケースは特別。3部や4部でやれる選手だって多くない。小さい頃から海外でプレーすることはリスクもあるし、必ずしも正解かは分からない。親が行かせたくて、本人は…というパターンもあって、それはなお難しい。1、2週間なら楽しい思い出になる。でも長期となれば、目に見えない苦労がある。私も受け入れるにあたっては、まずはリスクから説明している」 ■自らの経験がベースに そもそも、佐藤のサッカー人生は山あり谷ありだ。東京都の高校から3年時に長崎・国見高に転校し、大久保嘉人らとともに、全国高校選手権での優勝を経験。その後は青山学院大に進み、銀行に就職したが、サッカーへの道をあきらめきれず、退職した。その後は社会人リーグを経て、2009年から当時のJFLだったV・ファーレン長崎に入団した。そこから2シーズン在籍し、29歳になってスペインへの挑戦を決意した。 知人を頼って訪れたスペインでも、道を切り開くのは簡単ではなかった。「最初は練習参加をお願いしても門前払いばかり。入団テストも受けられない。数十件も回って、ようやく決まったチームが5部、いわゆる地域リーグの一番上というレベルでした」 厳しい現実を突きつけられながらも、なんとか4部や5部のクラブを渡り歩き、3シーズンを経験した後に、トップレベルでのキャリアにピリオドを打った。 その頃、日本から佐藤と同じようにプロ入りを目指した後輩がスペインに来た。その選手の入団をサポートしたことが現在の仕事を始めるきっかけとなった。 日本サッカーのレベルが飛躍的に向上し、成功を夢見て欧州でプレーすることに憧れを抱く若者が増えるとともに、佐藤が担う仕事の重要性は大きくなっていく。「脱サラまでしてスペインに来たので、やりたいことをとことんやろうという思いでやってきただけ、ですけど」。もがきながら見つけたセカンドキャリアは、まぶしく輝くスペインの陽光の下で、夢を追うフットボーラーの進む道を照らしている。(松田達也) (敬称略、写真はすべて佐藤さん提供) ■受け継ぐ「国見イズム」故小嶺忠敏総監督の教えを胸に…【関連記事】にも佐藤さんの記事