在日カンボジア人が民主と自由を母国に求めデモ パリ和平協定33年 リーダー格に圧力も
日本を含む19カ国がカンボジアの内戦を終結させるため1991年10月にフランスで調印した「パリ和平協定」から23日で33年となった。自由で公正な選挙の実施を掲げた一方、カンボジアの現政権下では野党に対する締め付けが強化され続けている。在日のカンボジア人は今月20日、東京都内でデモ活動を行い、カンボジア政府にパリ和平協定の順守させるため日本人の後押しを訴えた。 【写真】カンボジアで公正な選挙の実施などを求める在日活動家が最近与党側に転向を余儀なくされたとみられ、デモ参加者には涙ぐむ女性もいた ■和平協定後に日本人銃撃、殉職 在日カンボジア人や日本人支援者らは日本国旗やカンボジア国旗を手に東京駅前などを練り歩き、「自由と民主を求めるカンボジア人を助けてください」「フリーカンボジア、デモクラシー(自由と民主主義を)」などと訴えた。パリ和平協定の内容が書き込まれた横断幕もあった。 パリ和平協定は数百万人が虐殺されたといわれるポル・ポト政権の崩壊に伴う内戦状態に終止符を打つもの。人権や基本的自由の尊重の順守、自由で公正な選挙の確保を掲げた。日本は前年の90年6月に東京にカンボジアの紛争当事者を招いて和平会議を開くなど、調印に向けた環境整備に貢献した。地域紛争の解決を目指した和平会議の開催は日本の外交史上初めての試みとなる。 カンボジア国連平和維持活動(PKO)で日本人のボランティアと警察官の2人が銃撃され、殉職するという事件も起きた。 ただ、その後のカンボジアでは強権的な一党独裁体制が敷かれている。フン・セン氏は38年首相に在職し、昨年8月に長男のフン・マネット氏に首相職を世襲。両氏が率いる与党カンボジア人民党の体制下で野党党首の逮捕や政党解散、選挙の事実上の排除などが相次いでいる。 ■野党系リーダーの不可解な「転向」 カンボジアに民主主義の定着を訴え日本で活動するカンボジア出身者も、人民党政権側の監視など圧力を受けているという。 8月に新宿で実施した同様のデモ活動に約700人が参加したが、今回は約100人にとどまった。 日本で活動する野党系の市民団体「在日カンボジア救国活動の会」の代表を務める男性は最近、カンボジア人民党側に「転向」したという。SNSでカンボジア当局関係者らと写りながら、転向を報告する男性の様子が投稿された。