浜田ブリトニー「右目を失明した師匠」私こそ支えられている「利己的な考えを変えてくれた出会い」
「自分だけが幸せならそれでいい」。そう思う人生から、「自分だけ幸せなんて、つまらない」と、考えるようになった出会いが浜田ブリトニーさんにはありました。なぜそう思ったのか、それで何が変わったのか。人生の変えた師匠との出会いについて聞きました。(全5回中の4回) 【画像】浜田さんが献身的に支える大恩人とのツーショット「仲良い親子に見えます!」ほか(全11枚)
■大ファンだった先生にパーティーで遭遇 ── 現在の浜田さんは、恩師だという漫画家・御茶漬海苔さんのサポートもされているそうですね。御茶漬海苔さんとの出会いを教えてください。
浜田さん:子どものころから御茶先生(御茶漬海苔さんのこと)の大ファンで、漫画が出るたびに愛読していました。大人になり私も漫画家になって、出版社のパーティーがあったとき、御茶先生も来ると聞いたんです。それで編集の方に「紹介してください!」とお願いしたのが先生と出会ったきっかけです。 そこからだんだん仲よくなっていきました。10年くらい前に私が西新宿に「オカオカハウス」というダイニングレンタルスペースレストランをオープンしてからは、たびたびお店に遊びに来てくれるように。
先生は「オカオカハウス」にすごい愛着を持ってくれて、ずっと遊びに来てくれていました。先生が体を悪くして、糖尿病で目が悪くなっても、脳梗塞にかかって倒れたあとも、何度も来てくれたんです。いつも自分のことよりも、私を気にかけてくれています。
■「両目が不自由に」生活も生きがいもサポート ── 御茶漬海苔さんが病気になられたときも最初からサポートしていたのでしょうか? 浜田さん:そうなんです。もともと御茶先生は、川崎の一軒家でひとり暮らしをしていたんですが、病気が悪化してしまって…。
片目が見えなくなり、ひとりで生活するのは大変な状況に。老後資金も必要なので、家を売却することになったんです。でも、新たに家を借りるのも大変な状況でした。そこで、「保証人になるから、私の自宅の近くに引っ越してきませんか?」と誘いました。 近所だと様子を見やすくなるから、毎日、先生のおうちに行き、掃除をしたり、食事を用意したりするなど、身の回りのお世話をしています。 最初は見えていたもう一方の目もだんだん見えなくなってくるから、病院も付き添って一緒に行っていました。私が行けないときは、お店のスタッフが代わりに様子を見に行ってくれています。