〈差別を放置すれば増殖する〉崔善愛
私は在日コリアン3世だが、韓国の民族衣装チマチョゴリを着て、新宿や渋谷を歩く自分の姿を想像できない。その「勇気」がない。後ろからいつ刺されるかという恐怖がある。1923年の関東大震災での朝鮮人虐殺は昔のことではない。 川崎市の崔江以子さんは10年以上、壮絶なヘイトスピーチを受けてきた。加害者へ損害賠償を求めた訴訟の勝訴判決が昨年10月に確定。今年10月に出版された共著『「帰れ」ではなく「ともに」 川崎「祖国へ帰れは差別」裁判とわたしたち』(大月書店)の中で崔さんはこう言う(要約)。 「この言葉に苦しめられてきた私、多くの在日たち、ハルモニたち、子どもたちの被害を止めてください。私たちが日本で生きていくことをどうか守ってください」 崔さんはこの想いを国会や川崎市議会に通い、届けた。2019年12月12日、川崎市は全国に先駆け、ヘイトスピーチに刑事罰を科す「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」を全会一致で可決した。 その日、松原成文・前議長(当時)は「遅くなってごめんね」と謝った。松原市議は日本会議地方議員連盟のメンバーだが、「崔さんやおばあさんたちは、思っていた人たちとは違っていました」と『神奈川新聞』の石橋学記者の取材に答えている。人と人との出会いは、偏見と差別を溶かしていく。 私はいつも、JR川崎駅の構内を出たところで探す人たちがいる。「あ、いた。よかった」。数人が折りたたみイスに腰掛けて、読書をしている。このグループは川崎駅前や桜本で激化するヘイトスピーチを阻止しようと、見守っているのだ。 1975年以後、父・崔昌華牧師の在日外国人参政権運動や指紋押捺拒否などが報じられると、わが家にも脅迫状が届いた。 「新聞で住所も顔もわかった。吹き矢でトリカブトの根を打ちこむぞ。これを機会にお前らと軍事対決をやろうか」「日本におるな、帰れ、殺す」。 脅迫状は見えない場所に隠して二度と読まず、自分自身が壊されないために無視した。しかし差別を放置すれば、それは増殖するだけだった。 崔江以子さんは裁判に勝訴したが、もう二度とヘイトスピーチを受ける前の、平穏な生活には戻れないと絶望してきた。 学校などでの教育プログラムの実施を、強く求める。
崔善愛・『週刊金曜日』編集委員。