「いろんな話楽しみだった」 三笠宮妃百合子さまの思い出語る 彬子さま
15日に亡くなられた三笠宮妃百合子さまについて、孫の三笠宮家の彬子さまは2018年4月、名古屋市で行った講演で、父の寛仁さまが12年6月に亡くなって以来、分からないことがあると何かと百合子さまに尋ねていたと説明。 【図解】皇室の構成 「いろいろなお話をお伺いするのが本当に楽しみで、戦時中のお話など、大変な時代を本当にご苦労されながら生き抜いてこられた妃殿下が紡がれるお話の数々は、いつも暗い影を感じることがありません」と語っていた。 彬子さまによると、1941年10月に結婚した百合子さまは皇室に入って間もない頃、夫の三笠宮さま(16年10月逝去)から「元日の朝起きたら一番にニワトコの枝を見ないといけない」と言われた。理由は分からなかったが、百合子さまは1年の吉凶を占うまじないのようなものだと思い、新年に目が覚めたら必死になってニワトコの枝を見るようにしていた。 数年後、どうしても気になって大正天皇の皇后、貞明皇后に聞いたところ、大笑いされた。実際は新年最初の掃除の時、御座所に飾ってあったニワトコの枝を最初に見る仕事熱心な人は誰かという、女官同士の競争のようなものと分かり、百合子さまは「この数年の努力は何だったのか」と、気が抜けてしまったという。 彬子さまはまた、「なぜ皇族は帽子をかぶるのか」とある人から聞かれ、理由が分からず百合子さまに聞いたところ、「帽子は日よけなのよ」と返事が即座に返ってきた。その意味は、例えば天皇誕生日の皇居での一般参賀では、宮殿が「うちの一部」と見なされる皇后さまは帽子をかぶらなくてよいが、他の女性皇族方は一度外に出てから宮殿に行くため、「日よけ」として帽子をかぶるという。彬子さまは「このことを知ってからは、伝統を伝えていかなければと思うようになり、行事の時にはきちんと帽子をかぶるようにしている」と話した。 寛仁さまが亡くなった際には、百合子さまが貞明皇后からもらったという黒の絹製の手袋を、百合子さまから受け取った。彬子さまは「皇室は守り伝えていくという役割があるということを強く実感した」という。 彬子さまは「妃殿下(百合子さま)が柔らかくしなやかに殿下(三笠宮さま)をお支えになってこられたおかげで、今の三笠宮家があるのではないかと思っている」と語った。