<メディアは生活保護をどう報じてきたか>「利用者」と「公務員」“悪”の対象に揺れた20年間
悪を見つけて叩く“正義”の報道
誤解を恐れずに一言で表現するならば、今までの生活保護報道の多くは、「悪を見つけて叩く“正義”の報道」という色彩が強かった。悪代官が市井の人々を苦しめ、そこに水戸黄門が登場して悪人を成敗する。勧善懲悪の物語である。 悪人として登場するのは、「利用者」と「公務員」である。 「利用者」を悪人とする報道としては、読売新聞社が1980年に行った「不正受給批判キャンペイン」(命名は、筑波大学の副田義也名誉教授)を挙げることができる。炭鉱の町、北九州市を舞台に連載された一連の報道では、生活保護が反社会的勢力の資金源になっているとし、適正化に取り組む北九州市の姿を描いた。副田教授は、不正受給対策を「実際的効果をあげるための政策の性格より、マス・メディア対策、世論対策の性格がより多くみてとれる」と総括している(副田義也『生活保護制度の社会史 増補版』,p.263)。 一方で、「公務員」を悪人とする報道の嚆矢となるのは、札幌テレビが制作したドキュメンタリー『母さんが死んだ』である。87年に札幌市でひとり家庭の母親が子3人を残して餓死した事件を通じて、福祉行政の冷酷な対応を描き出した。ディレクターの水島宏明さんは、その後、テレビ番組では描き切れなかった内容をルポ―ルタージュとしてまとめている。(水島宏明『母さんが死んだ:しあわせ幻想の時代に』)。 生活保護の運用の問題点を指摘するという点では、どちらの報道にも社会的価値があった。しかし、報道は「生活保護=悪」というイメージを助長し、制度を一般の市民から遠ざける結果も引き起こした。 医療や福祉の専門用語に、「スティグマ」という言葉がある。日本語訳としては、差別や偏見、恥辱観などの言葉があてられる。報道した人たちがそうしたいと考えたわけではないだろうが、メディアは生活保護のスティグマを強める役割を果たしてきたのである。
NHKスペシャル「ワーキングプア」が社会に提起したもの
勧善懲悪の報道に一石を投じたのが、06年7月に放映されたNHKスペシャル「ワーキングプア」である。以下は、番組紹介のリード文である。 放送当時、「ワーキングプア」と呼ばれる働く貧困層が急激に拡大していた。生活保護水準以下で暮らす家庭は、日本の全世帯のおよそ10分の1、400万世帯ともそれ以上ともいわれていた。都会では住所不定無職の若者が急増、定職に就けず日雇いの仕事で命をつないでいた。一方、地方では収入が少なくて税金を払えない人たちが増えていた。「ワーキングプア」の厳しい現実を見つめ、これから目指す社会の在り方を模索した。(出所:NHKスペシャル「ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない」) 「ワーキングプア」は、豊かであるとされてきた現代日本において、静かに貧困が広がり続けている現状を描き出した。当時、流行していた言葉に「自己責任」という言葉がある。豊かな日本で生活に困窮するのは、それまで努力してこなかった結果である。だから、その結果として生じる様々な困難は個人の問題としてその本人が引き受けなければならない。 番組は、こうした価値観に疑問を呈したのである。 この時期を契機として、生活に困窮する人々を追うルポルタージュが増えていく。 日本テレビが07年に放映した「ネットカフェ難民 漂流する貧困者たち」は、流行語大賞の候補となるなどの反響があった。なお、同作品のディレクターは前述の水島さんであり、著書も発刊されている(水島宏明『ネットカフェ難民と貧困ニッポン』)。