リアル巨人の星だ ドラ1石塚裕惺 小学生時代毎日500スイング…スポ根秘話
巨人に新たなスター候補生が加わる。ドラフト1位で指名された花咲徳栄・石塚裕惺(ゆうせい)内野手(18)はポスト坂本勇人の期待もかかる大型遊撃手。スポーツ報知では「ドラ1!巨人の星 石塚裕惺」と題した連載で、そのルーツに迫る。全3回の第1回は幼少時代。自ら素振り1日500回の猛練習にも取り組む、努力の虫だった。(取材・構成=宮内 孝太) 今でも目に焼き付いている光景がある。2013年2月。石塚は、幼稚園の年長だった。卒園記念の旅行で父・康直さんと2人で巨人の春季宮崎キャンプを訪問。当時現役だった阿部監督、坂本、長野らのプレーに心を奪われた。「忘れられないです」。どこまでも飛ばす強烈なスイング、華麗なグラブさばき。ただただ輝いて見えた。既に将来の夢は「プロ野球選手」になっていた。 「星のように輝いてほしい。夜空に輝く澄みきった心を持つスターになってくれたら」。両親のそんな願いが込められ「裕惺」と名付けられた。父・康直さんは埼玉・大宮南の元高校球児。物心つく前から野球が身近にあった。「気がついたらバットを握ってました」。3歳でプラスチック製のバットを振り、ボールを投げて遊んだ。家族は巨人ファンで東京Dで何度も観戦。12年に巨人がリーグVを決めた試合は、現地で見た。「坂本選手が小さい頃からの憧れ」。スターの階段を上る遊撃手が目標だった。 幼少期から野球に興味を持ちながら多くのことに取り組んだ。そろばん、英会話、吹奏楽、水泳。「やめたいとか言ったことはない」と母・明世さんが話すように、何事も途中で投げ出さない性格だった。 そんな裕惺少年の人生が大きく動き出したのは、幼稚園年長の時だった。父が監督を務める少年野球チーム・勝田ハニーズに入団。野球熱は高まり、気がつけば、憧れの選手を目指して練習に明け暮れた。 強打の礎はこの時期に築かれた。日課があった。小学校から帰宅すると3学年下の弟・太惺(たいせい)や母・明世さんとキャッチボールやバドミントンの羽根を使った打撃練習。特に重点的に取り組んだのは「素振り」だった。 三脚を自ら立て、ビデオカメラで撮影しながらスイング。毎日500回は振った。仕事から帰宅後に映像をチェックしてくれる父から課され、週に1回は1000回振る日も設けた。「当たり前になっていたので苦ではなかったです」。プロを目指すきっかけをくれた父は最も身近にいる大切なコーチ。少年野球では監督だったこともあり、人一倍厳しく指導してくれた。「やらされてやる練習は意味がない。自分で考えてやらないと成長はないよ」という父の教えを胸に猛練習。「巨人の星」の星飛雄馬(ほし・ひゅうま)を思わせる鍛錬を中学卒業までやり続けられたのは、親の働きかけだけでなく、自らに強い意志があったからだった。 小学5年時にチームの主力になり、県大会まで進んだ。そのときに、新たな目標ができた。6年生になったら、全国の精鋭たちが集う「NPB12球団ジュニアトーナメント」に出場する―。その年の大会会場は札幌Dで、「ロッテジュニアになれば、両親を北海道に連れていける」と、選考会受験を決意した。高いレベルでプレーしたいという思いとともに親孝行の考えもあった。 しかし、7月下旬のロッテジュニアの選考会3週間前に悲劇に見舞われる。本塁のクロスプレーで左手首を骨折。病院で診断を告げられた時は親子で涙した。絶望的な状況に気持ちは一時は沈んだ。ただ、諦めなかった。「やるしかない」。母が毎日、超音波や電気治療に連れていってくれた。骨にいいと聞けば、カルシウムもたくさん取った。 必死の取り組みで迎えた最終選考会。完治はしていなかったがサポーターをつけて臨んだ。試合形式の練習でホームランを2発放ち、アピールに成功。大器の片りんを示すような土壇場の勝負強さで、無事に合格した。「やってきてよかった」。これまでの努力が報われた瞬間は格別だった。(つづく) ◆巨人の星 原作・梶原一騎、作画・川崎のぼるで1966~71年にかけて少年マガジン(講談社)で連載された漫画。主人公・星飛雄馬が苦闘の末に巨人軍に入団し「巨人の星」になるまでを描いた作品。幼少時代から、巨人軍の元選手だった父・一徹から厳しい指導を受ける姿が読者の感動を呼んだ。姉の明子にも見守られ、一徹お手製の「大リーグボール養成ギプス」を身につけて鍛錬し、魔球「大リーグボール」を開発。阪神・花形満らライバルたちを撃破していった。 ◆石塚 裕惺(いしづか・ゆうせい)2006年4月6日、千葉・八千代市生まれ。18歳。幼稚園年長から勝田ハニーズで野球を始め、佐倉シニアを経て、埼玉・花咲徳栄に進学。1年秋からレギュラーに定着し、3年夏の甲子園出場。高校通算26本塁打。今年のU18アジア選手権では高校日本代表に選ばれ、4番として準優勝に貢献。ポジションは遊撃、三塁。182センチ、84キロ。右投右打。
報知新聞社