名曲から生まれた、想いをうまく言葉で伝えられない少年が主人公の映画『ぼくのお日さま』。脚本に大きな影響を与えた取材で出会った少女の言葉
日本映画3.0 #2
ハンバートハンバートの「ぼくのお日さま」は、吃音のある「ぼく」の気持ちが綴られた楽曲だ。この柔らかで切ない曲が、第77回カンヌ国際映画祭で「ある視点」部門に選ばれた映画『ぼくのお日さま』の原点にある。本作が商業映画デビューとなった奥山大史監督に話を聞いた。 【画像多数】28歳で商業映画デビューした奥山監督
コロナ禍の不安のなか、流れてきたある曲
「子どもの頃って感情の振り幅があって、つらいこともあったけれど楽しかったと思います。あの頃の感覚を映像として残すことができれば」 奥山監督は、子どもたちの感情の機微にスポットライトをあてた本作の作品背景をそう語る。物語の主人公のタクヤは、男女二人組デュオのハンバートハンバートによる楽曲「ぼくのお日さま」の「ぼく」にインスピレーションを受け、形作られた。 「コロナ禍で仕事が全部動かなくなり、家に1人でいるときにSpotifyのレコメンドでの楽曲が流れてきたんです。この楽曲は昔から知ってはいたものの、当時のあてもない不安な気持ちに寄り添ってくれるようでした」 その瞬間、停滞していた脚本作業に光が射したように思ったという。ただ「生半可な気持ちで吃音を映画の題材として扱うべきでなない」ことは監督自身が一番理解していた。描き方を少しでも誤ると偏見を助長し、当事者を傷つける作品になりかねない。 脚本や芝居については日本吃音臨床研究会の原由紀氏に意見を求め、同研究会主催の「吃音親子サマーキャンプ」にも参加した。 吃音を持つ親子とともに過ごすなかで耳に残ったのは、ある少女の「吃音について理解してほしいんじゃなくて、放っておいてほしいんだよね」という素直な本音だ。その傍らでは、吃音をもつ親子がお互いに言葉を詰まらせながらも、ごく自然に会話している姿があったという。 家族で食卓を囲むシーンでは、タクヤと父親はお互いに言葉につまりながらも、言葉をかわす。母親も兄もそのやり取りに対して、気に留める様子はない。いつもタクヤの隣にいる親友は吃りをからかうこともなければ過剰に気を遣うこともない。 なにもしないからこそ見えてくる優しさがそこにはある。