海外大物ミュージシャンの“親日伝説” ブルーノ・マーズ「ドンキ」CMに連なる「日本にハマる」パターンとは
盆栽も柔道も
1970年代あたりからずっと、ロック・シーン、ジャズ・シーンには親日家とされるミュージシャンが少なくない。クイーンはヒットする前から応援していた日本のリスナーに向け、「手をとりあって」のサビを日本語でレコーディングした。スティングのいるポリスは、湯川れい子が歌詞を書いた日本語バージョンの「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」をリリースした。 アーティストたちが親日になる理由にはいくつかのタイプがある。 まず、文化やカルチャーに興味を持つケース。生前のジョン・レノンが妻、オノ・ヨーコとともに軽井沢に滞在していたことはよく知られているが、ジョンは東京・世田谷区の道場に柔道を学びに行ったこともある。 『エリック・クラプトン自伝』(エリック・クラプトン著。中江昌彦訳、イーストプレス刊)にはファッション・プロデューサー、藤原ヒロシとの交流が度々語られている。クラプトンはビジュアルについて藤原に頻繁に意見を求め、彼のデザインした服を身に付け、ロバート・ジョンソンの映画を撮ることを勧めている。 意外なのはモトリー・クルーのドラマー、トミー・リー。激しいパフォーマンスで知られるが、ステージを降りると日本のわびさびに興味があるらしい。盆栽愛好家として、来日公演の際には前ノリして高名な盆栽作家のもとを訪れている。庭の緑を愛で、日本食を食べる姿をフェイスブックにアップしている。 ブルーノ・マーズもキティちゃんなど日本文化好きを公言している一人である。
「吐いたオレを王様のように扱ってくれた」
アーティストに対する日本人のリスペクトに感激して親日化するケースも多い。前述のクイーンやポリスもそれだろう。 “ジャズの帝王”マイルス・デイビスは、自伝で1964年に初来日したときの感動を述べた。 「日本に到着した時のことは、決して忘れないだろう。日本はものすごく遠い国だったから、オレは飛行機の中でコカインと睡眠薬を飲み、それでも眠れなくて酒もガンガン飲んでいた。到着すると、大変な歓迎ぶりで驚いた。オレ達が飛行機を降りようとすると、出迎えの人々は、『日本にようこそ! マイルス・デイビス!』と叫んでいた。なのにオレときたら、そこら中に吐きまくる始末だった」(『マイルス・デイビス自叙伝』マイルス・デイビス他著、中山康樹訳、宝島社) 空港で嘔吐するマイルスを目の当たりにしても、日本人のスタッフは態度を変えなかったらしい。 「彼らはさっと薬を出して介抱してくれ、まるで王様のように扱ってくれた。本当に楽しくて、すばらしかった。あの日以来、日本の人々を愛しているし、尊敬もしている。ビューティフルな人々だ。いつでも大変な歓迎をしてくれるし、コンサートも必ず大成功だ」(同) 今となっては彼の飛行機内の行動に関する問題発言は気になるが、マイルスの日本への愛に疑う余地はなさそうだ。 やはりジャズのレジェンド、ソニー・ロリンズにインタビューしたときに彼も言っていたが、アフロ・アメリカンのミュージシャンは音楽で成功しても、アメリカ国内ではあちこちで人種的な差別を受けていた。それでも、日本人とフランス人は音楽を評価しリスペクトしてくれると話していた。