ジャン・ルノワール監督「ゲームの規則」4Kデジタルリマスター版が日本初公開、11月29日から
フランスの巨匠ジャン・ルノワール監督の「ゲームの規則」4Kデジタルリマスター版」が、11月29日から全国順次公開される。4Kデジタルリマスター版では初めての日本公開となり、メインビジュアル、予告編、山田宏一氏からの推薦文が披露された。 【フォトギャラリー】「ゲームの規則」場面写真 イギリスの「サイト&サウンド」誌で第2位(1972年、1982年、1992年)、フランスの「フィガロ」誌で第2位(2008年)、「カイエ・デュ・シネマ」誌で第3位(2008年)など、オールタイム・ベストテンを選出すると必ず最上位にランクインし、フランソワ・トリュフォーが「これぞ映画狂のバイブル。何度見ても新鮮で至福の時を与えてくれる傑作」と絶賛するなど、映画史に残る作品だ。ルノワールの代表作にして世紀の問題作でありながら、そんな大仰な惹句をあざ笑うようなおおらかさ、身軽さ、陽気さをまとって、製作から90年近く経っても世界中の映画ファンに愛され続けている。 アルフレッド・ド・ミュッセの戯曲「マリアンヌの気まぐれ」から着想を得て、ある侯爵の別荘に集う人々の一夜の出来事を中心に繰り広げられる大騒動。公開当初は興業的に惨敗の上、風俗を見出すとの理由で上映禁止、その上空襲でネガが消失し<呪われた映画>として語られていた。しかし戦後、1959年になって奇跡的に復元、1982年に日本でもやっと公開された。そこからさらに40年以上が過ぎた今、暗部のディティールや登場人物たちの繊細な表情の変化までが、4Kデジタルで鮮やかに浮かび上がる。 メインビジュアルは、フランスの4K版ビジュアルのデザインを踏襲したデザインで、予告編は、ココ・シャネルの衣装に身を包んだブルジョワたちが館の中で、外にと動き回りながら男女の友情や不倫について語り合い、恋の駆け引きを繰り広げる。劇中もっとも刺激的な一幕である狩りのシーンや「死の舞踏」に合わせて骸骨たちが踊るシーンなど、めまぐるしく狂騒的な本作のエネルギーにいち早く触れることができる。 <あらすじ> ラ・シュネイ侯爵の領地コリニエールで狩猟の集いが開催されることになった。侯爵と夫人のクリスティーヌが迎えるのは、大西洋を23時間で横断するという偉業を成し遂げたばかりの飛行士アンドレ、その友人にしてクリスティーヌのよき相談相手オクターヴ、侯爵の愛人ジュヌヴィエーヴをはじめ一癖も二癖もある者ばかり。アンドレとクリスティーヌが恋仲なのは社交界では周知の事実。ただでさえ波乱が予想されるものの、侯爵は来る者は拒まずの広い心の持ち主。狩猟から仮装パーティへと続く中、小間使い、彼女の夫の密猟監視員、さらには小間使いにちょっかいを出す密猟人まで加わって、それぞれの思惑はこんがらがり、とんでもない事態へと発展していく。 「ゲームの規則 4Kデジタルリマスター版」は、11月29日から、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開。 ▼山田宏一氏(映画評論家)推薦文 とりとめもなく、つかみどころのない、神のあやつる人形劇 文句なしに最高の監督による最高の映画だとフランソワ・トリュフォーのように手放しで絶讃したいところだが、その不思議な魅力を分析などしようとしたところで何を言っても見当違いになりそうだ。 ジャン・ルノワール監督の「ゲームの規則」は、大戦前夜、第2次大戦が目前に迫っているときに、あられもなく色恋沙汰にうつつをぬかす上流社会の生態をいきいきと浮き浮きと楽しく描いて、不謹慎、不道徳きわまりない映画として上映中に監督自身が不本意ながら何度もハサミを入れて短縮せざるを得ず、あげくの果てには公開禁止になったという、いわくつきの呪われた名作である。世界中で愛され、称讃された反戦ヒューマニズム映画「大いなる幻影」の名匠が一転して非国民呼ばわりされるハメになったスキャンダラスな前科のある傑作なのである。 大西洋横断飛行に成功した飛行士をラジオが取材する大騒ぎではじまるニュース映画のような夜の飛行場のシーン、「私は愛する女性のために飛んだのに、彼女は迎えに来てもくれなかった。とても悲しい」とインタビューに答える空の英雄。貴族の領地で狩場になっている森をぬって、大勢の勢子が木々をたたいて獲物を追い立て、逃げまどう野ウサギや飛び立つキジを容赦なく銃で射ち殺す上流階級の男女、ひきつったように悶えて死ぬ野ウサギ。貴族の別荘である城館の祭りと招待客。友情には厚いが自他ともに許すパラジット(寄生虫)の役をジャン・ルノワール自身が演じ、「人間、誰もが自分は正しいと思っていることがおそろしい」と映画そのもののテーマを要約するかのような名せりふを吐く。 そして寸劇ではクマのぬいぐるみを着て大あばれ、あまりにもぴったりと身についてぬげなくなり、クマさん人形のようになって悪戦苦闘。幽霊の見えざる指がピアノを弾くように鍵盤が怪しく自動、骸骨のダンスのナンバーがはじまる。領主の貴重なコレクションとして紹介される人形たちが踊る巨大なオルゴール。領主と使用人たちのいくつかのカップルの恋愛、パートナーの交換、変装と仮面劇。誰もがはげしく動き回り、キャメラも広い城館のどこかで回りつづけ、動きがとどまることがない。嫉妬に狂った森番がピストルをふりまわしてパーティのさなかに走り回る。果てしなくつづくかにみえた追いかけっこの果てに、ついに殺人が起こるまでに至るのだが、めまぐるしく、あわただしく、どんちゃん騒ぎのような展開だ。悲劇的な結末も、すべては事故にすぎなかったのだと(「事故」を「運命」と言い換えてもいいのだといわんばかりの領主の口調で)あっさり、見事にかたづけられ、しめくくられるのだが…。 映画史上の名作は、崇高なドタバタ芝居、とりとめもなく、つかみどころのない、プラトン的な「神のあやつる人形劇」なのである。