「越えなければならない壁みたいにとらえて戦いました」日本最大級の料理人コンペ『RED Uー35』グランプリ受賞 日本料理店主人・酒井研野のターニングポイント
県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。第101回のストーリーは黒石市出身で日本料理店主人の酒井研野。 【画像とバックナンバーはこちらから】 平安神宮などがある京都市左京区岡崎にある「日本料理店 研野」。2021年にオープンした自身のお店で、酒井は料理人として活躍している。 ■黒石市で伸び伸び暮らす活発で明るい子ども 幼少期を、地元(黒石市)で伸び伸びと暮らした酒井は、活発で明るい子供だった。 酒井研野さん 「釣りがすごく好きで、近くの浅瀬石川によく釣りに行って川遊びなどをしてましたね」 弘前市の中学に通い始め、バレーボール部に所属。行動範囲が少し広くなったことで流行やおしゃれにも敏感になった。 酒井研野さん 「洋楽にすごくハマって、その頃ロックをよく聴いてましたね。中学生ですから、ニルヴァーナとかから入り、いろんな洋楽を聴いていました」 さらに高校は、教育熱心な母親の影響もあり進学校へ。 しかし敷かれたレールの上を歩きながらも、自分は何をやりたいのかを考えていた。 ■自分がしたいことって料理なんじゃないか… 酒井研野さん 「小さい頃から自然がすごく好きで、自分で野菜を育ててみたり、なぜか料理の番組が好きでよく見ていたり。そういった点と点を繋ぎ合わせた時に、自分がしたいことって料理なんじゃないかと思い」 母親の大反対を押し切り、料理人を目指すため食の都、大阪にある辻調理師専門学校へ。和洋中と全て勉強した中で、日本料理を選んだ。 酒井研野さん 「日本料理の実習の時に、昆布と鰹節できちんと取ったお出汁で作ったお味噌汁と炊き込みご飯を口にした時に、こんなに美味しいんだというのが衝撃で、恋人にするならフランス料理やイタリア料理、結婚するなら日本料理だなと思い、日本料理の道に進もうと考えました」 そして卒業後、歴史ある料亭に就職する。 ■大正元年創業の料亭「菊乃井」に入社 酒井研野さん 「入社して1年目は、お店の全員分の賄いを作るという仕事を与えられていたので、何作ろうかを考え段取りを考え…そこで眠りにつくみたいな感じでした」
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