金鉱石4個を発見 加賀藩支えた金山跡残る魚津・松倉 埋没林博物館、19日から初公開
魚津埋没林博物館は藩政初期に加賀藩の財政を支えた金山のあった魚津市松倉地区で、金を含んだ鉱石4個を発見した。最も大きな鉱石で確認された金の幅は2ミリで、埋没林博物館から調査依頼を受けた国立科学博物館(東京)の鑑定で判明した。埋没林博物館は19日から開催する企画展で鉱石を初公開し、富山県東部と加賀藩との歴史的な結びつきを伝える。 埋没林博物館によると、金鉱石の大きさは最大で幅11センチ、奥行き12センチ、高さ7・5センチ、重さ570グラムで、金のほかに銀など他の鉱物も含まれていた。 魚津市など新川郡一帯は、加賀藩祖前田利家が豊臣秀吉から加封され、同地域の鉱山収入が豊かな藩財政を支えていた。現在も松倉金山など金山3カ所の遺構は残るが、昭和初期以降に本格的な金採掘は行われなくなったとされる。 藩政期に加賀藩が管理した富山県の主要鉱山「越中七金山」のうち、魚津市松倉地区には松倉金山、虎谷金山、河原波金山と3カ所が集中していた。博物館では、こうした歴史に光を当てようと企画展の準備を進め、学芸員が現地調査中に金鉱石を確認した。 企画展「キンキラリ魚津の金山展」では、金鉱石展示のほか、坑道の狭さを実感できる坑道体験通路や坑道の3D模型、坑道入り口模型も用意する。通常は入れない金山の坑道ツアーと、砂金探しツアーは既に定員に達した。 金山跡の近くにある松倉城跡(魚津市)は、文化庁の「史跡に指定する価値を有する埋蔵文化財包蔵地」の第1期リスト搭載遺跡一覧に入っており、市は城跡の国史跡指定を目指している。 埋没林博物館の担当者は加賀藩との縁を伝える企画展を通じ、「地元の歴史遺産を受け継ぎ、国史跡指定に向けて市民の機運醸成につなげたい」としている。 ★越中七金山(かねやま) 富山県内の主要7鉱山で、室町時代末期から江戸時代初期に、「加賀藩のドル箱」(魚津市史)とされていた。魚津市の3金山をはじめ、下田金山(上市町)、吉野銀山(富山市)、亀谷銀山(同)、長棟鉛山(同)を指す。松倉金山は江戸時代の慶長年間(1596~1615)に最盛期を迎えた。富山藩が分藩される際、加賀藩は鉱山がある新川郡を譲らず、引き続き支配した。