[懐かし名車:トヨタ初代セリカ]じつは“安くてかっこいい若者グルマ”を目指した?!
すっかり成熟したともいえる日本のクルマ業界だが、かつては黎明期や発展期がそこにあり、それらを経て現在の姿へと成長を続けてきた。後のクルマづくりにはもちろん、一般社会に対しても、今以上に大きな影響を与えていた”国産車”。ここでは毎回、1990年ごろまでの国産車を取り上げて、そのモデルが生まれた背景/商品企画/技術的な見どころ/その後のクルマに与えた影響などを考察していく。第1回は、”ダルマ”の愛称でも知られる初代セリカだ。 【画像】懐かし名車:トヨタ初代セリカ ×18枚
欧州スポーツカーとは異なる出自
まずお金の話で失礼しますが、クルマの開発にはそもそも大金がかかります。一例をあげると、ドアを1枚新たに開発するだけで、そのコストは軽く数億から10億円超にもなるといいます。 ちなみにその金額は、クルマのサイズやクラスとは必ずしも比例しません。安い軽自動車のドアも、その5倍の価格の高級車のドアも、開発コストは(じつは材料費も)販売価格の割合ほどには違わないのです。 では、軽自動車と高級車の価格差はどこから生まれるのかというと、ひとつ大きいのは生産台数です。10億円かけて開発したドアも、年間10万台×5年売れるなら、1台当たりの開発コストは1枚2000円。でも、年に5000台しか売れないとなると、20倍の値でなければモトが取れないことになるのです。 フェラーリやポルシェなどの高級スポーツカーがハイプライスを掲げているのも、その希少性ゆえ。ヨーロッパのスポーツカーは、そもそも貴族の遊びグルマとして誕生したという成り立ちも、高価であることを許す理由でした。
「スペシャリティカー」というカテゴリーの誕生
しかしながら、早くからモータリゼーションが到来したアメリカでは、若者向けの安いスポーツカーが求められました。そこでメーカーが編み出したのが、たくさん売れる実用車とできるかぎり設計を共通化しながら、かっこいいクーペボディを載せるという手法です。 1964年にフォードが、大衆セダンのファルコンをベースに生み出したマスタングは狙い通りの大ヒットとなり、GMのシボレーも1967年にカマロで追従。のちに「スペシャリティカー」と呼ばれる一大カテゴリーになります。 【フォード マスタング】ファルコンをベースとしながらも、スマートなスタイリングを実現。戦後のベビーブーマーがターゲットだったが、広い世代にヒット。ちなみに、セリカも採用することとなる”フルチョイスシステム”を採用していた。