「食べることに罪悪感があった」徳澤直子 モデル、助産師のキャリア経て40歳の節目で新たな活動「女性に正しい選択してほしい」
『CanCam』専属モデルとして活躍後、看護師・助産師として勤務経験がある徳澤直子さん。40歳を迎えた今、これまでのキャリアを活かして新たに挑戦したいことがあるそうです。(全3回中の3回) 【写真】「メガネに白衣姿が新鮮!」看護師・助産師として病院に勤務していた頃の徳澤直子さんなど(全12枚)
■18歳から「寝る間も惜しんで」 ── モデルとしてデビューしたきっかけを教えてください。 徳澤さん:高校生のときに『Seventeen』の専属モデルオーディションに自分で応募しました。ファッション誌が大好きで、小学生のころから誌面に穴が開くかというほど読んでいたんです。友達からオーディションの話を聞いて、背中を押してもらうような形で応募しました。
── その後、専属モデルとして活躍されました。 徳澤さん:『Seventeen』のあと、『CanCam』でも専属モデルをつとめさせていただきました。当時は何度も最高発行部数が記録されていて、本当に雑誌が売れる時代でした。18歳から25歳までは、寝る間も惜しむほど働き詰めだったと思います。スタジオに行き、ロケに行き、イベントがあれば地方に行って。ファッションショーや、映画にテレビ、舞台なども経験させてもらって忙しくしていました。
── 産後に大学受験を経験して学び直しをされ、その後は看護師・助産師としての勤務経験がありますが、改めてモデル時代を振り返ってみていかがですか。 徳澤さん:病院で働いていた経験と比較すると、モデルというのはマニュアルがない世界で、明日が保証されていないといいますか、今日うまくいかなかったら次の日から仕事がなくなる可能性があるなかで働いていたと思います。10代のうちから、一つひとつの仕事に真剣に取り組まないと、未来の自分がなくなってしまうような意識が培われたような気がします。表に出る仕事ということもありますが、自己管理能力も身につきました。ここをピークにするにはどのくらい前から準備が必要で、どう管理していくかも少しはできるようになったのかなと思います。
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