「怒りの沸点がこんなに下がるもの?」2児の母・徳澤直子 子どものW受験で得た母としての経験と60歳で叶えたい「夢」
雑誌『CanCam』専属モデルとして活躍後、看護師・助産師として病院に勤務していた徳澤直子さん。ふたりのお子さんの受験が重なり、「願掛け」に頼った日々を振り返ってくれました。(全3回中の2回) 【写真】「現在は2児の母」優しいママぶりが伝わる徳澤直子さん家族のプライベートショット(全14枚)
■娘とは毎日ケンカも ── 去年、長女の中学校受験と、長男の小学校受験が重なったと伺いました。 徳澤さん:たまたま一緒のタイミングになってしまったのですが、振り返ってみても大変でした。夫婦の意見として、受験のメリットとデメリットを踏まえたうえで決断したのですが、中学校受験と小学校受験のふたつの世界を知れたことはいい経験になりました。単純に比較できることではないのですが、私はどちらかというと長女の中学校受験の方が大変でしたね。
── 娘さんもだんだんと自分の意思も出てきますよね。 徳澤さん:娘とは毎日と言っていいほどケンカをしていましたし、自分の怒りの閾値がこんなに下がるものか?とも思いました。私だけかもしれないのですが、ストレスが多かったです。成績で一喜一憂することもありますし、偏差値という尺度で評価するということへの葛藤は母子ともにあったので、日々悩みながらやってきた感じです。終わってみると、親子の絆が深められた期間だったなと振り返ることができるのですが、渦中のときは「もう早く終わって~!」と思っていました。
── どんなことで揉めていたのですか。 徳澤さん:主にスケジュール管理です。私はつい心配で「いつまでにこれをしないと、あとから大変になるよ」と言ってしまうんですが、娘はそこまでの実感がなくて。当時はまだ小学生ですし、今なら「そんなこと、まいっか」と思えるんですが、受験期は娘に言ったことが終わっていないとまるで約束を守られなかったかのような感情になってしまって。 「なんでしなくちゃいけないの」と対立することはしょっちゅうありました。娘は幸い、塾に行くのは好きで、お友達と一緒に通うことは楽しかったようです。よく、受験前には感染症にかからないように学校を休ませるというような話も聞きますが、そのあたりはなるようにしかならないと思っていましたし、学校生活を楽しく過ごしてほしかったので、娘は毎日学校に通っていました。