松本清張は、なぜ『火の路』で自身の古代史学説を“本気”で語ったのか?
政治や経済をはじめ様々な社会問題をテーマにした推理小説を数多く残した松本清張は、歴史や考古学についても興味や関心を示していました。それらもまた、小説のテーマにされることが多かったのですが、『火の路』に登場する古代史学説は、ほかの小説と明らかに違う扱いだったといいます。小説の中で、清張が“本気”で語ったという学説とその後日談について、ノートルダム清心女子大学文学部教授の綾目広治さんが解説します。
古代史の学説を“本気”で語った『火の路』
前回扱った「東経139度線」は、ひょっとすると在り得たかも知れない古代史についての仮説を、作中の登場人物に語らせた小説であった。もっとも、その仮説は学説として検証に耐え得るようなものではなく、あくまで清張の想像空間における、遊びの要素も多分に混ざった珍説であった。長編の『火の路』(「朝日新聞」、1973年6月~1974年10月)も、古代史についての学説が作中に語られた小説であったが、しかしここではその学説は本気で語られているのである。 その本気さは、物語の中で語られている研究論文に見ることができる。それは、ヒロインである若き古代史研究者の高須通子による、飛鳥地方に存在する謎の石造遺物についての論文である。これは、飛鳥地方には謎の石造遺物として、「酒船石」や「亀石」や「猿石」、さらには「益田岩船」や「道祖神像」などの実に不思議な石造遺物があるが、いったい、それらにはどのような意味があるのか、についての論文である。 高須通子の論文は、小説中に二つ掲載されている。そのうちの一つは、謎の石造遺物で土木工事好きの女帝・斉明天皇が作る予定だった「両槻宮」(ふたつきのみや)に供されるはずの施設物だった。しかし「両槻宮」の工事が中止になったため施設物も未完成なままに放棄された。また「両槻宮」自体、「日本の古代宗教とは違った宗教的色彩を帯びていた」と考えられ、それは「たいそう日本離れした(朝鮮からも)異質な宗教である」と述べる。 この論文を偶然に読んだ、かつては古代史研究の俊英として知られ、今は学界から離れて保険外交員をしている梅津信六から、高須通子は便箋二十枚を超える書簡を受け取る。二人は面識がなかったが、高須通子の論文の内容は梅津信六が懐いていた古代史の学説に通じるところがあったのである。梅津信六によれば、高須論文で指摘している「異質な宗教」とはゾロアスター教(けん教、もしくは拝火教とも言う)ではないかと考えられる。 なお、小説では詳しく語られていないが、ゾロアスター教とは、前六世紀のイランに起こった宗教のことで、仏教やキリスト教にも影響を与えたとされている。ちなみに、ニーチェの著書『ツァラトゥストラはかく語りき』の「ツァラトゥストラ」は、ゾロアスターのことである。キリスト教を批判するニーチェは、キリスト以前に眼を向けたわけである。