ルックバック~1月3日 『NHK紅白歌合戦』放送開始
年末の風物詩として人気を博し、2017年末には「最長寿年度テレビ音楽コンペティション(国内)」としてギネス世界記録にも認定された長寿番組『NHK紅白歌合戦』。3日前の第75回は、有吉弘行、橋本環奈、伊藤沙莉を司会に行なわれました。出演者が“手話ソング”をはじめ、カーセンサーやサントリーなどのCMソング、“柏から世界へ~”と歌うJリーグ・柏レイソルのチャントの原曲としても知られる、財津和夫とチューリップ「切手のないおくりもの」を歌唱した後、トップバッターのME:I「Click」から、矢野顕子のピアノを伴ったMISIA「紅白スペシャル2024」(「希望のうた」「明日へ」)まで、42曲+特別企画の歌唱・演奏で大いに盛り上がりを見せました。 『NHK紅白歌合戦』の誕生のきっかけは、終戦直後の1945年12月31日に放送されたラジオ番組『紅白音楽試合』にさかのぼります。当初は同番組を継続させることを想定していませんでしたが、その反響の大きさに感化されたた制作陣が、1951年1月3日に20時から1時間にわたって正月番組として放送したのが、記念すべき第1回の『NHK紅白歌合戦』となります。ただ、こちらも単発番組として制作されていたため、当時は『第1回NHK紅白歌合戦』ではなく、『紅白音楽合戦』という番組名でした。放送後に反響や好評を得たことから、翌年に第2回を放送して以来、国民的番組にまで成長・発展しました。 その第1回は現在の紅白のスタイルとは異なり、出場歌手の曲名や曲順は事前に公表されず、紅・白組それぞれのキャプテンがだれに何を歌わせるかを指名していくという“歌合戦”という名前のコンセプトに近いもので、当時の新聞では歌唱曲の予想を掲載していたものもあったようです。 紅組キャプテンには渡辺はま子、白組キャプテンには藤山一郎を起用。紅組は“エレジーの女王”と呼ばれ、のちに「月がとっても青いから」をヒットさせた菅原都々子(「憧れの住む町」)、淡谷のり子や笠置シヅ子らと創成期の紅白を牽引した女性スターとなった二葉あき子(「星のためいき」)、トリに“おはまさん”の愛称で親しまれ、李香蘭とともに「蘇州夜曲」などをヒットさせたキャプテンの渡辺(「桑港のチャイナ街」)などが出場。白組は1960年代後半以降は司会やコメンテーターなどタレントとしても活躍した近江俊郎(「湯の町エレジー」)、直立不動で歌う姿がのちにものまねタレントのネタにもなった東海林太郎(「赤城かりがね」)、大トリにスポーツ選手以外では初めて国民栄誉賞を生前に受賞した国民的歌手の藤山一郎(「長崎の鐘」)などが出場しました。なお、現在、出場者のなかで存命なのは、トップバッターを務めた菅原のみとなっています。 当初は正月番組として放送された“紅白”ですが、第4回を数えた1953年12月31日から大晦日の放送がスタートしました(したがって、1953年は正月に第3回、年末に第4回と2回放送)。ただ、移行したのは、年末年始は大きな会場が大晦日しか抑えられなかったという制作側の理由が大きかった模様。当時の放送界には“大晦日の夜の催し物は当たらない”というジンクスがあり、それを払拭するため、第4回からは出場歌手を5組増やして注目度を高める施策も行ないました。 (写真は、第1回NHK紅白歌合戦の大トリを務めた藤山一郎のベスト・アルバム『『全曲集 長崎の鐘』)