日本航空石川、センバツ選出 避難先の山梨から「能登に元気を」
3月18日開幕の選抜高校野球大会の出場校に、能登半島地震で大きな被害を受けた日本航空石川が26日に選出された。 【写真特集】七尾の避難所で喜ぶ日本航空石川・福森選手の祖母 日本航空石川の野球部員の一部は系列校の日本航空高校(山梨県甲斐市)がある山梨キャンパスに避難しており、敷地内のホールで選考結果を待った。校名が呼ばれると、選手たちは張り詰めていたものが解けるように、静かに瞳を潤ませた。 その後、石川県輪島市の学校に残って復旧にあたっている教職員から、ビデオ会議システムで「(学校がある)能登空港キャンパスは我々が守りますので、野球部のみんなは甲子園で思い切り暴れてきてください」と激励を受けた。 能登半島地震で、輪島市にある学校は被災した。敷地内や周辺道路がひび割れ、通学できない状態になった。寮や校舎が損傷し、野球部の屋内練習場にも被害があった。能登空港に隣接する学校は、国や自治体の支援物資などの集積拠点になっている。 授業はオンラインで実施している。日本航空石川を運営する日本航空学園は甲斐市のキャンパス敷地内に仮設校舎や寄宿舎を建設し、4月から全校生徒を受け入れる考えだ。 野球部は2年生を中心に部員の約半数の32人が先行して山梨に移動した。1、2年生の全部員が寮生だったため、元日は帰省しており、けが人はいなかったという。 山梨に避難した選手たちは日本航空高校の教室に設置した段ボールベッドで寝泊まりする生活を送る。車で約30分の山梨県富士川町にある廃校になった高校のグラウンドを借り、19日から本格的に練習を再開した。ただ、山梨で受け入れられる人数には限りがあり、残りの約半数の部員はそれぞれの地元で自主練習するなど、チーム全体での練習はできていない。 石川県七尾市出身の福森誠也投手(2年)は元日、輪島市内の祖母の早瀬舞子さん(67)宅で被災した。津波から逃げるため、福森投手は早瀬さんをおんぶして高台の方向に走った。福森投手は「ばあちゃんが今にも(崩れた部屋の)下敷きになりそうになっていた」と振り返る。避難所生活も経験したが、家族やチームメートに背中を押され、山梨にいるチームに1月中旬に合流した。 選手たちは山梨入り後、夕食後に連日ミーティングをしている。石川県外の出身者も多いが、福森投手に震災経験を伝えてもらい、輪島市に戻れない現状の中で「自分たちに何ができるか」を話し合っている。 福井県越前市出身の宝田一慧(ほうだいっけい)主将(2年)は「これまで日本航空石川は能登の人たちに応援してもらい、励まされてきた。がむしゃらなプレーをすることで、みなさんに少しでも元気を届けられたら」と話す。【石川裕士】