(テニス+卓球+バドミントン)÷3の球技 原爆で子を失った男性考案、エスキーテニス
広島発祥の「エスキーテニス」はテニス、卓球、バドミントンを「足して3で割ったような」スポーツだ。卓球のようなラケットで、羽根付きの直径約4センチのゴムスポンジボールを打ち合い、老若男女問わずに楽しめる。 考案したのは原爆でわが子を亡くした男性で、スポーツを通じた平和への願いが込められている。(共同通信=下道佳織) ▽魅力 5月11日に広島市で開かれた大会は、10~80代の女子選手約50人が参加し、白熱したラリーと駆け引きが繰り広げられた。縦8メートル、幅4メートルのコートで、ネット越しにボールを打ち合う。 テニスと似ている部分も多く、相手が打ち返せなかったり、ボールがコート外に出たりするとポイントに。ただラリー中に同じプレーヤーが連続してノーバウンドで打ってはいけないなど独自ルールもある。 この日のダブルス戦で優勝したのは、東京都狛江市の会社員松村宏子さん(56)と、鳥取県湯梨浜町の会社員櫻井尚子さん(48)のペアだった。松村さんは「年齢性別関係なく試合に勝てるのが魅力。一緒に楽しくエスキーテニスをやりましょう」と笑顔で話した。
▽誕生 1945年8月6日、広島市に原爆が投下され、市街は焼け野原になった。「子どもたちに楽しみを与えるスポーツを作ってほしい」。復興を目指す地元の政治家や学者らの有志から依頼を受けた地元の実業家宇野本信氏(1959年に58歳で死去)は狭いスペースでプレーでき、戦後の物資不足でも材料が集まるエスキーテニスを1948年に誕生させた。 宇野本氏は13歳だった三女武子さんを被爆の約1カ月後に原爆症で失っていた。次女政さんの手記によると、宇野本氏はスポーツを通じ平和になればと、私財を投じて普及活動に取り組んだ。 県も発信に取り組み、県内企業や役所の職員が昼休みの娯楽として楽しみ、大学の部活動にもなった。現在は11府県に連盟があり、全国大会も開かれる。 日本エスキーテニス連盟の木原亮一郎理事長(58)は、「エスキーテニスは中毒性のあるスポーツ」と語る。 ▽体験 理事長の指導を受けながら、ソフトテニス経験者の記者(28)が体験してみた。