ドジャース一筋122勝のカール・アースキン氏死去 ノーヒッター2度の名投手
ドジャースが16日(日本時間17日)、カール・アースキン氏が亡くなった、と発表した。97歳だった。 アースキン氏は1926年に米インディアナ州アンダーソンで生まれ。黒人の多い場所で生まれたことでジャッキー・ロビンソンらとの関係もまったく支障がなかったという。 ロビンソンデビューの翌1948年に昇格。本格的に先発ローテーションに加わったのは1951年以降。この年から6年連続2ケタ勝利をマーク。1953年には自己最多20勝をマークした。この間、1952年のカブス戦と1956年のジャイアンツ戦で2度ノーヒッターを達成した。 5度のワールドシリーズでは2勝2敗だったが1955年初の優勝にも貢献。また、1953年第3戦では当時の記録となる14人奪三振をマークした。1956年の日米野球では来日経験がある。 1958年ドジャースがロサンゼルスに移転。4月18日当地での初試合に先発し勝利を挙げたのもアースキン氏。本拠地としていたロサンゼルス・コロシアム(1984年ロス五輪でも使用)には7万8682人が詰めかけた。 1959年限りで引退。通算122勝78敗だった。ロジャー・カーンの名著で出版当時大きな反響を呼んだ「The boys of summer」の中では、1950年代の栄光のドジャース選手のその後を紹介。アースキン氏の長男がダウン症のため、家族で必死に闘っている様子も赤裸々に掲載されていた。
報知新聞社