生きることと学問することとは一つのことになりうる―大澤真幸『私の先生: 出会いから問いが生まれる』
日本を代表する社会学者のひとり、大澤真幸さん。「答え」をもっている人ではなく、〈問い〉を誘発する人を〈先生〉ととらえ、その〈先生〉について書かれた論集『私の先生――出会いから問いが生まれる』を刊行されました。大澤さんにとっての〈私の先生〉とは。本書の「あとがき」より一部抜粋して紹介いたします。 ◆生きることと学問することとは一つのことになりうる 私の〈ほんとうの先生〉、私にとって〈先生の中の先生〉は、見田宗介(真木悠介)先生である。本書を、〈私の先生〉というコンセプトでまとめることができると思ったのも、見田先生との長い交流があったからである。つまり〈私の先生〉という概念が、自身の経験の中に受肉しているという実感があったからである。 私が、見田先生の講義や著書、そして先生のゼミでの指導、先生との個人的な会話を通じて学び、心底から納得したことは、生きることと学問することとは一つのことになりうる、ということである。人が生きているときに不可避にぶつかるさまざまな悩みや苦しみと対決すること。学問を通じて真理を探究すること。両者は、究極のところで交わる。 ただし、そうなるにはある条件を満たさなくてはならない。個人の実存的な難問と学問の一般的な問題とは、一見、互いにまったく反対の方角を向いている。しかし、妥協を許さず、どちらをも十分に深く問い続け、探究の歩みをどこまでも止めなければ、そしてそのときに限り、両者が結びつく通路が現れる。見田先生の社会学は、このことを教えてくれる。何のために生きるのか、生にそもそも意味があるのかという問いは、人類社会の可能な構造をすべて視野に入れた『時間の比較社会学』と結びつき、私(たち)の利益や欲望を優先させるエゴイズムは、人間にとって宿痾のような克服できない条件なのかという問いは、動物社会をも考慮に入れた『自我の起原』をもたらした。 見田先生は、大学を退職された後、亡くなるまでずっと「樹の塾」という私塾を主宰されていた。晩年、先生の視力はかなり衰えたのだが、「樹の塾」だけは熱心に続けられていたということを、先生が亡くなられた後に私は知った。ところで、この「樹の塾」というふしぎな名前だが、このイメージは、宮沢賢治の「学者アラムハラドの見た着物」という作品、推敲に推敲を重ねながらついに完成しなかった作品に由来している。 学者アラムハラドは、街はずれの柳の林の中の塾で、子どもたちに教えている。ある日、彼は、子どもたちに「人が何としてもさうしないでゐられないことは一体どういふ事だらう」と質問した。ある子は、歩いたり物を言ったりすることだと答え、別の子は、人は「いゝこと」をしないではいられないと答える。最後にアラムハラドは、特別に目をかけているセララバアドという子どもを指名した。この子が何か答えるときにはアラムハラドは、「どこか非常に遠くの方の凍ったやうに寂かな蒼黒い空を感ずる」。セララバアドはこう答える。「人はほんたうのいゝことが何だかを考へないでゐられないと思ひます」。 セララバアドの答え自体が、ひとつの〈問い〉の形式になっている。これこそ、先生の存在が、生徒において〈問い〉を誘発した瞬間である。しかもその〈問い〉は、実存的な生き方についての問いと学問的な問いとが収束する一点へとまっすぐに向かっている。 私は、見田先生にとってのセララバアドでありたい。どんなに力不足でも、私は、セララバアドであろうとする夢を放棄しない。 [書き手]大澤 真幸(社会学者) [書籍情報]『私の先生: 出会いから問いが生まれる』 著者:大澤真幸 / 出版社:青土社 / 発売日:2023年11月25日 / ISBN:4791775988
青土社
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