かつてのマンガ少女なら、必見の原画展。大和和紀×山岸凉子、巨匠ふたりの名作に会いに、いざ札幌。
『あさきゆめみし』×『日出処の天子(ひいづるところのてんし)』展―大和和紀・山岸凉子 札幌同期二人展―が北海道・札幌市の東1丁目劇場で開催されています。3月24日(日)まで。
マンガ家の大和和紀さんと山岸凉子さんは、ともに北海道出身で同学年。高校時代からの友人です。漫画家を目指して切磋琢磨した札幌で、ふたりの代表作でありマンガ史の金字塔である2作品の原画展が行われています。展示されているのは両作品のモノクロ原画83点、カラー原画45点。初日9日に行われたトークショーとその後に開かれた記者発表に行ってきました。
ホールを埋める800人の聴衆を前にしてのトークショー。でもおふたりはリラックスした表情で、時折り顔を合わせて笑う様子は女学生さながら。 今回の展覧会は、ふたりが発起人をつとめる<札幌マンガミュージアム構想>の活動のひとつ。北海道にゆかりのあるマンガ家は多く、東京・神奈川・大阪に続く全国4位だそう。『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリさん、『動物のお医者さん』の佐々木倫子さん、『ルパン三世』のモンキー・パンチさん、『ゴールデンカムイ』の野田サトルさん…。 「あるとき、自分の好きなマンガ家さんに北海道出身の人が多いなって気づいたんです。でも意外にも北海道の人たちもそれを知らなくて、もったいないなって。それで山岸さんに『自分に少し時間ができたらマンガミュージアムを作りたいと思う。マンガってこういう力があるんだよ、と伝えたいの』と持ちかけたら『いいじゃない!やりましょうよ!』って言ってくれて。山岸さんは普段あまりそういうことを言わないから、すごく勇気づけられて」(大和さん) 「私は軽く、いいんじゃな~い?と答えただけのつもりだったんだけど(笑)」(山岸さん) そうして大和さんが発起人代表、山岸さんが副代表になり、札幌市も協働してプロジェクトが動き出した。
ふたりの出会いは高校2年生のとき。学校でマンガを描いていた山岸さんに級友が「自分の知り合いにもそういうものを描いている人がいる」。それが級友の隣の家に住んでいた大和さんだったそう。 「人生で最初のマンガ友だちでした。当時はマンガを読むことすら悪と言われた時代で、まして描いている人なんて周りに誰もいなかった」(大和さん) 「大和さんのお父さまが当時経営されていた喫茶店で、ふたりで作品を見せあったり、2時間でも3時間でもマンガの話をしていました」(山岸さん) ふたりにとっての大事件が起きたのは高3の冬、札幌雪まつりのとき。 「手塚治虫先生が『ジャングル大帝』の関係で雪まつりに来ると聞いて、『これは絶対原稿を見てもらいたい!』と。当時はデビューしたくて思い詰めていましたから、受験生なのに勉強そっちのけで山岸さんと一緒に待ち伏せしたんです。いつのタイミングで先生に声をかけるか、どうしたら先生に振り向いてもらえるか、それで頭がいっぱいで」(大和さん) 「大和さんが必死に先生に声をかけてくれました。1人ではチャンスを失っていたと思う」(山岸さん) 果たして作戦は成功し、ふたりはマンガの神様に作品を見てもらうことができたのだった。 「手塚先生は大和さんに『君はあと1年でデビューできるよ』っておっしゃいました。でも私には『あと数年かかるかな』。その1年後に大和さんは本当にデビューして東京に行ったので、さすが手塚先生、と思いましたね」(山岸さん)。 圧倒的な画力を誇るふたり。お互いの作品について、ここがすごい!と讃えあう場面も。