「2島返還プラスアルファ」論も記載 公開された「外交文書」とは?
昨年末に公開された「外交文書」に、北方領土交渉に絡み、歯舞群島(はぼまいぐんとう)と色丹島(しこたんとう)返還を軸とした「2島返還プラスアルファ」論が記述されていたことがニュースになりました。アメリカでは一定期間を過ぎて公開された外交文書からさまざまな歴史の真相が判明する例がありますが、日本では外交文書の扱いはどうなっているのでしょうか。元外交官で平和外交研究所代表の美根慶樹氏に解説してもらいました。
2010年から30年経過した文書は原則公開に
昨年12月19日、外務省は1950年代から80年代にかけての外交文書22冊を公開しました。 1957年の岸信介首相の訪米や、沖縄返還交渉などに関する記録が主であり、その中には北方領土問題に関係する言及も含まれています。そのため、今回の外交文書公開は現在行われているロシアとの平和条約交渉と関連があるのではないかと注目されました。 そもそも外交文書とは、外務本省と在外公館の間で交わされた電信や各国との交渉の記録などであり、それを綴じて「ファイル」になったものが保管されています。1冊のファイルはざっと5センチくらいの厚さですが、キリのよいところで綴じられます。大きさはA4版が大多数です。 外務省では、2001(平成13)年4月の情報公開法施行に先立つ1976(昭和51)年から、自主的な取組みとして外務省「外交史料館」において戦後の外交文書の公開を開始しました。そして2010(平成22)年、外部有識者が参加する外交記録公開推進委員会を設置し、その審査を経た上で,国民の関心の高い外交記録を自主的に公開しています。 2010年からは、30年を経過した外交文書は原則すべて公開されています(30年ルール)。公開された文書はだれでも閲覧可能であり、また、原則インターネットで見ることができます。なお、古い外交文書(実物)は外交史料館で閲覧できます。
交渉中などの理由で公開できない文書もある
外交文書の公開からどのようなことが判明するでしょうか。公開されたものを見ていくのには、いくつか注意が必要です。 第1に、1950年代から80年代に至る期間の外交活動のすべてが今回公開されたのではありません。公開されたのはごく一部です。同じ期間の記録でもすでに公開されていたものは多数あります。例えば今回公開された「岸総理第1次訪米関係一件」では第1巻、第2巻、第6巻というラインナップでした。国連や関連機関で進められてきた軍縮に関する諸交渉の記録はすでに公開されています。 また今回の公開後も、未公開の文書は残るでしょう。外交文書全体の中ではごく一部ですが、ファイルの数で言えば、推測ですが、数十冊に上る可能性があります。 第2は、公開の定期性です。外交文書の公開あるいは未公開が恣意的に決定されてはなりません。外務省もそのことについては注意を払い、定期的な外交文書の公開に努めてきました。最初の公開は前述したように1976年でしたが、それ以来、2年に約1.5回の頻度で公開が実施されています。 しかしながら外交記録の中には、現在も交渉が進行中のため公開するのが困難なものがあります。国民の側からすればそのような例外は作らず、すべてルールに従って公開してもらいたいところですが、交渉中にこちらの手の内を見せてしまえば相手国との関係で著しく不利をこうむることになるので、原則として案件が終わったことを公開の条件とするのはやむを得ないでしょう。 ロシアとの平和条約・北方領土に関する交渉の記録は膨大な量にのぼりますが、原則として公開されていないと思います。