「2島返還プラスアルファ」論も記載 公開された「外交文書」とは?
米国の外交記録公開で判明した「核密約」
第3に、外交文書公開は米国が先輩格になっています。米国では民主的な外交の伝統が強く、情報公開法(FOIA: Freedom of Information Act)に基づき、作成後30年以内に外交文書を公開することになっています。30年以内に公開という点では日本と同じ、というより、日本は米国に倣ったのです。 例外的に公開しないことがありうることは日米共通ですが、どの文書を例外とするか、つまり公表しないこととするかの判断は各国が独自に判断しています。その結果、例えば、日米間の特定の交渉に関する記録が、日本では公開されないのに米国で公開されることが起こります。そういうことが起こらないよう両国とも気を付けていますが、それでも時折生じています。ただし、日本が先で米国が後ということはなく、いつも米国の方が先になるので、研究者にとっては米国の公開記録が貴重な情報源となります。 実際、沖縄返還の際(1972年)に日米間で核に関する密約があったことが米国で公開された外交文書から2007年に発覚しました。沖縄返還時の米国大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーが、1969年11月19日から21日にかけての日米首脳会談のためにニクソン大統領に宛て作成したメモの中に、それをうかがわせる記述があったのです。 そして、民主党政権時代の2010年、外務省は岡田克也外相の下で調査を行い、核の持ち込みについて、「広義の」という形容詞をつけてはいましたが、密約があったことを確認しました。
ファイルを開けてみないと詳しい中身は分からない
第4に、外交記録は「ファイル」に収められています。ファイルがどのように作成されるか決まったルールはありません。執務上、便利なように作成されるといっても過言でないでしょう。ファイルは、首相の訪米であれば何冊にもなりますが、もっと簡単なケースであれば、他の案件と一緒に一つのファイルに収められることがあります。 1冊のファイルの中には、さまざまな記録が収録されていますが、完璧な索引はありません。例えば、今回公開された岸首相の訪米に関するファイルの一つは、「岸総理第1次訪米関係一件 第1巻」です。外務省はその内容について簡単な説明を加えていますが、それだけで本当に必要な記録にたどり着くのは困難でしょう。他にも昭和天皇の「終戦の詔書」は「ポツダム宣言受諾関係一件」という名称のファイルに収められています。1945年9月27日の昭和天皇とマッカーサー連合国軍最高司令官との最初の会見記録は、「本邦における外国人謁見及び記帳関係雑件 米国人の部」の中に含まれています。要するに、ファイルを実際に開いてみなければ、書いてある中身は分からないのです。 公開された外交文書を読み解く際には、以上に注意しつつ、どのような外交状況であったか経験と知識により補い、推測しながら能率よく記録を探すことが必要です。例えば、ファイルからは分からなくても、同時期に進められていた第三国との交渉や国内情勢にも注意が必要です。それを頭に入れておくと、ファイルの中の外交記録の背景が分かりやすくなります。