古代ローマ「唯一最大の発明」とは? ユダヤ人に匹敵「特異な民」の強さの秘密。
なぜ、ローマ人だけが、地中海を「われらが海」と呼ぶ大帝国を築くことができたのか――。これまで多くの歴史家が頭を悩ませてきた問題だ。シリーズ「地中海世界の歴史」(全8巻)の第5巻で、いよいよ「ローマ文明」にとりかかった本村凌二氏に、「ローマ人の強さの秘密」とシリーズ後半の読みどころについて聞いた。 【写真】ローマ帝国の皇帝たち
ユダヤ人に引けを取らない「特異な民」
――古代の「ローマ人」は、今のイタリア人とは違う人々なのでしょうか? 本村イタリアの人たちは今も、古代ローマの歴史を誇りに思っていますし、遺伝子を調べていけば、現代のイタリア人は古代ローマ人に近いのかもしれませんが、その心性や行動の規範、習俗からみれば大きな隔たりがあります。地中海世界に大帝国を築いたローマ人は、すでにいないといっていいでしょう。 古代地中海世界に生きたさまざまな人々のなかでは、何といってもユダヤ人は「特異な民」と言えると思います。砂漠をさまよう民として登場し、ふりかかる災難をはねのけながら、まとまりのある集団を維持し、「選ばれた民」として唯一神を信仰し続けた。 しかし私は、ローマ人もユダヤ人に引けを取らない「特異な民」だったと思うのです。 ローマ人はユダヤ人とは異なり、多神教を信仰していましたが、神々への祭儀は壮麗で厳粛を極めており、前2世紀のギリシア人の歴史家・ポリュビオスの目には、その厳格さはほとんど異様にさえ映っていたようです。こうした祭儀は神々の怒りにふれないために行うものでしたが、その伝統を厳格に守る性質はローマ人の特性として際立っており、祖先の経験や教えを尊重する「父祖の遺風」こそが彼らの行動規範となっていました。 ――「祖先や過去に学ぶ」ことが、ローマ人の「強さ」につながっていたのでしょうか? 本村そうですね。そして、みずからもそうした祖先の一員として、永久にその名を記される名誉のために、現世を一生懸命生き抜くという現実主義的な人々でもあったのです。 ローマ人が歴史に残したものを見ていくと、彼らはオリジナリティはないけれども、学んだものをソフィスティケート(洗練)していく、そういう技術はあったんじゃないかと思います。理論を学ぶだけじゃなくて、実践性とか、持続させていくための技術ですね。 有名なローマ法だって、帝国内の一般法として必要だけど、広い帝国の各地域には慣習法が残っていて、それは結構大事にしているんですね。全部俺たちの言うことを聞けっていうんじゃなくて。だから、ローマ市民にはローマ法が適用されるけれど、属州民だけで生きているところにはあんまり干渉していないのです。支配民族と被支配民族の違いにもよく気がついていて、普遍法としてのローマ法という使い方をしている。それが近代になってフランス民法典などに生かされていくわけです。 これは、人々のつながりをどう調整するかっていうところに基本があって、たとえば中国の法をみると、民法というより刑罰なんですよね。刑罰で民を規制するっていう形で、民法はあまり発達しなかった。そういう対照的な面をみると、ローマ法というのも、この時代のローマ人に特有の理念を反映しているのだろうと思います。 ――ローマ人に「オリジナルな発明」はなかったのですか? 本村ローマ人の唯一にして最大の発明は、「祖国」ではないかと思います。 戦争に勝って領土を獲得し、それをさらに押し広げていく。そしてその国土を「わが祖国」と観念する、というのは、ローマ人に始まったことなのではないでしょうか。 ギリシアのポリスに生きた市民のアイデンティティは、市民共同体の一員ということであって、「祖国」とは違う。だから、都市内で過密になったりしたときには、海の向こうに植民都市を建設して、新たな市民共同体を作る。 そのギリシアのポリス連合と戦ったペルシア帝国にしても、王族や貴族は別として、一般の兵士たちやその家族に「祖国ペルシア」という意識があったかどうか…。 一方、ローマを訪れたギリシア使節のなかには、元老院貴族の見識の高さや、貴族だけでなく民衆レベルでも「国のために働く」という意識が高いことに驚いている記録があります。このギリシア使節は元老院を「王者の集まり」、民衆を「戦うのが恐ろしい相手」と記しているのです。 ギリシア人との違いといえば、トゥキュディデスが典型ですが、ギリシアでは、戦争にいって負けてしまった場合、国に帰ったら何をされるかわからないわけですよ。下手すれば処刑されてしまう。だから彼は亡命というか、ブルガリアのほうの所領地にこもって、『戦史』を執筆し始めるわけです。 ローマは、カルタゴとのポエニ戦争で、カンナエの戦いで負けたウァロという将軍がいますが、彼はローマに帰るわけです。それをローマ市民は迎え入れる。「お前は負けたけど良く戦った」、もう恥をかいているわけだから、次はもっと祖国のために戦うだろう、ということなんですね。