”登板過多”の済美・安楽 アメリカでも注目されている甲子園
一方で、武士道的な厳しさは必要と考える。人間として子供たちを成長させるために。「単に野球をやっているわけではない。高校野球は教育の場でもありますから」。しかし、「そういうものも失われつつある」と静かに言った。「(時代は)変わりました」。 最後にインタビュアーが聞いている。核心だ。 「夏の甲子園で同じ状況になっても、安楽をマウンドに送りますか?」 上甲監督は頷いた。 「そうすると思います」 それに対してインタビュアーは一切否定的な言葉は持たなかった。どんな思いで送り出すのか。また、安楽が何を秘めてマウンドに上がるのか、瞬時に背景を理解したからだ。同時に、連投の背景にある日本の高校野球を理解したようでもあった。 7月の終わり、雑誌が発売され、テレビでも特集が放送された。雑誌もテレビも、日本の野球文化を公平に捉え、賢しげに上から目線で問題提起することもなかった。スポーツファンのブログでも好意的な意見が多かった。 「日本の甲子園という大会の重みを知った」 「文化の違いは尊重すべきだ」 もちろん、高校生を守れ、という意見もあったが、甲子園を否定までしていない。 「アメリカの野球文化の尺度で日本の野球文化を計ることは出来ない」 雑誌記者はそんな感想を口にしていた。 こんな例えが、言いえて妙だった。 「日本とアメリカではボトルの飲み口のサイズが違うとする。当然、キャップの大きさも違う。アメリカ人がアメリカのキャップを日本のボトルにはめようとしても合うはずがなく、そのことに腹を立てているのだとしたら、滑稽でしかない――」 済美高校が甲子園行きを決めた日、取材に来たプロデューサーらに連絡をすると、すぐに連絡があった。 「勝ち進んだら、上司を説得して、また日本へ行こう!」 (文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)