【大学駅伝】最後の箱根路/3度目の山上りで好走した国士大・山本雷我 高校時代の後輩・田中悠登との絆の投げキッス
2024年、最後の箱根駅伝を終えた大学4年生ランナーたち。納得のいく走りができた選手や悔いを残した選手、なかにはアクシデントでスタートラインにすら立てなかったエース級もいる。お届けするのは、そんな最上級生たちの物語――。 第100回箱根駅伝総合、往路、復路成績&区間賞をチェック!
主将として悩み苦しんだ1年間
「攻めるしかない!」 山本雷我(4年)は覚悟を決め、箱根の急峻へ向け走り出した。小田原中継所でタスキを受け取った時点で順位は15位。10位の法大とは1分31秒差があった。チームの目標はシード権獲得だ。 大学2年時、3年時に続く、自身3度目の5区は雨中のレースになった。序盤、中央学大の柴田大輝(3年)に一度追いつかれるも、得意の上りに入ってから突き放す。そこから山本は4人抜きの力走を披露。10位・順大に3秒差と迫る往路11位で芦ノ湖にたどり着き、右手で投げキッスのポーズを取ってフィニッシュした。 「苦しい1年でした。駅伝主将である自分が主要な大会に出られず、チームに走りでは何も貢献できなくて。これでやっと主将としての役割を果たすことができました」 山本はホッとした表情でそう語り、笑顔を見せた。 復路の5人もシード権を目指して粘り強く走り抜き、国士大は復路15位、連続出場している過去8年間で最高位の総合12位でフィニッシュした。34年ぶりのシード権には届かなかったが、前回の総合19位から大きくジャンプアップ。11時間1分52秒の総合タイムも大学最高記録だった。 前回の箱根駅伝後、山本は立候補して駅伝主将に就任。駅伝チームを自分が引っ張るという意気込みでシーズンに入ったが、故障が続いたことから本来の力を出せず、苦しい1年になった。 6月の全日本大学駅伝関東選考会で国士大は7位に入り、7年ぶりに伊勢路を走ったが、山本は選考会、11月の本大会ともに出走していない。10月の箱根駅伝予選会も走ることができなかった。ふがいなさに1人、部屋で涙したこともあったという。 秋からは徐々に調子を取り戻し、10月に5000m、10000mで自己ベストを更新。11月には激坂最速王決定戦(登りの部)を制し、改めて上りの強さをアピールした。