デストロイヤーさん死去 練習生の大失敗も笑って許す優しさ
日本でも人気の高かったプロレスラー、ザ・デストロイヤーさんが7日(日本時間8日)、米ニューヨーク州の郊外の自宅で死去した。88歳だった。
素顔でデビューもマスクを被ってから飛躍的ブレーク
デストロイヤーさんは1954年、素顔のディック・ベイヤーとしてデビュー。シラキュース大学在学時にアメリカンフットボールの選手として培ったガッシリした体格と運動神経の良さを活かし人気を集めたが、1962年にプロモーターの提案でマスクを被ってデストロイヤーに変身してから飛躍的にブレーク、ロサンゼルス地区のフラッグシップタイトルだったWWA世界ヘビー級王座につき、トップレスラーにのぼりつめた。
白黒テレビから伝わった力道山戦の迫力
63年に初来日すると、力道山の宿敵として注目を集めた。白地のマスクを血に染めての必殺技「足4の字固め」をめぐる攻防は、白黒テレビ主流の時代でもお茶の間に衝撃を与えた。 力道山の死後はジャイアント馬場、アントニオ猪木らとも死闘を繰り広げたが、1973年から79年にかけては、まだ日本陣営の層が薄かった馬場の全日本プロレスに日本側の選手として所属、都内に滞在した。 “白覆面の魔王”を異名に持つデストロイヤーさんは、“千の顔を持つ男”ミル・マスカラスとの覆面世界一決定戦から始まる覆面十番勝負や、“黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーとの悪役×元悪役の遺恨の対決などで大いに盛り上げた。幅広い世代に渡りそれぞれの時代のライバルたちと名勝負を残せたのは、プロレスラーとしての奥の深さとコンディションの良さの証だろう。
プロレスごっこでも流行した4の字固め
また同時に、リングの外でも持ち前のタレント性を活かし、和田アキ子、せんだみつおらが司会を務めるバラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル」(日本テレビ系)に、マスクにオーバーオール、ヘルメット姿というユニークな出で立ちでレギュラー出演。ひょうきんなキャラクターは、力道山時代の重厚な悪役とは180度異なるイメージで、子どもたちの人気者になった。 番組中、徳光和夫アナに4の字固めをかけ、徳光アナが悶絶するシーンは名物となった。昭和の子どもたちのプロレスごっこでも、4の字固めはコブラツイストと並ぶ必殺技として流行した。