デストロイヤーさん死去 練習生の大失敗も笑って許す優しさ
後年は日米の青少年交流の架け橋に
79年6月には日本での活動にいったん区切りをつけ、アメリカへ戻った。地元の小学校に体育教師として勤務したり、高校で水泳のコーチなどもした。また、レスリングや水泳をする地元の子どもたちを日本に連れてきて、日本の子どもたちと交流させる活動を20年以上に渡り続け、東日本大震災の被災者支援も行った。2017年、日米の友好親善と青少年交流に長年貢献してきたことが評価され、日本政府より旭日双光章を受章することが発表された。 悪役から子どもたちのアイドル的存在まで、デストロイヤーさんの人生は振り幅の広いものだったが、人柄の良さは一貫して誰からも愛されていた。
分け隔てなく人と接する優しい人柄
かつて全日本プロレスに練習生として在籍していた佐藤誠さんは、そんなデストロイヤーさんの人柄を、忘れがたい思い出とともに振り返る。 「セコンドとしてデストロイヤーさんを控室に迎えに行った時、屋外の会場で雨が降ってきたので、早合点して試合は中止だと伝えてしまったんです。デストロイヤーさんはすぐ宿舎に戻られました。ところが、そのあとまもなく雨が止んで試合再開。先輩から怒られましたよ。翌朝、外国人選手の宿舎に行くと見知らぬ外国人が話しかけてくるので不思議に思ったら、素顔のデストロイヤーさんでした。私は前日のことを謝罪したのですが、片言の日本語で笑って許してくださいました。あの時のデストロイヤーさんの笑顔で救われた感じでした」 一流のプロレスラー仲間ばかりではなく、一人の練習生にも優しかったデストロイヤーさん。人を分け隔てずに接する紳士だったことがうかがえる。 (取材・文・写真:志和浩司)