「自壊の恐喝」「利のある敗北」―格差ある米朝二国の首脳会談と極東の力学
利のある敗北
北朝鮮の選択は「利のある敗北」を最上とすべきである。 ほとんどの戦争論は、勝利のための戦争論であるが、現実には、どのような戦争においても、敗北もしくは屈辱的和睦が、常に選択肢の一つでなければならない。「負けるが勝ち」というのは、単に逆説的格言ではなく半ば真実なのだ。 しかし現実には、金正恩にとってこの和睦交渉は狭き門である。 敵はアメリカだけではなく、実は中国でもあり、韓国の反北勢力でもあり、さらに国内の強硬派でもある。多くの戦争において屈辱的和睦の最大の難関が国内の強硬派であることは不変の真理である。金正恩の場合はほとんどの政敵を粛清した独裁者であるが、といえども、いやむしろ並外れた強者を演じることによってその地位にいる者ほど、屈辱の和睦は困難をともなう。 岡目八目的に考えれば、核を放棄することによって、体制の保証と多少なりともの経済援助が得られるなら、かなり喜ばしい成果であるが、当事者は、その事実を正確に認識することと、屈辱に耐え切ることが困難なのだ。相手の行動には不確定要素も多い。 つまり決断の鍵は、自己の命運を他者に委ねる覚悟である。 それは普通の人生にもたびたび現れる転機なのだ。人は誰も運命の波間に漂って生きているのだが、いざ、安穏たる現状を捨ててその波間に飛び込むという決断は難しい。ましてや独裁者である。実はその「他者に委ねられないこと」こそが、独裁的強者というものの最大の弱点なのだ。 金正恩はまだ、アメリカの約束も信頼できず、中国の抱擁も安心できないでいる。今後予想されるアメリカの圧力には中国を頼り、中国の裏切りにはアメリカを頼りたいといった心境なのだろう。
非核化以後
現在は、問題が会談の実現と非核化の可能性に集中して、ほとんど語られていないが、極東情勢にはむしろ「非核化以後」が重要である。 非核化のプロセス自体が平易ではないのはもちろんであるが、それ以後に予測される状況に対して、あたかも第二次世界大戦後の処理を決めたヤルタ会談におけるルーズベルトとスターリンのような、米中間の綱引きが始まっていると推察される。 中国はアメリカと韓国の主導による北の変革を望まないであろう。望むのは、中国と同様、共産党政権のままの改革解放であり、北の衛星国家化である。また北も、現実に太い経済のパイプをもっているのは中国であり、喫緊の制裁解除も、将来の援助と交易も、中国を最大の相手国と見なすのが自然だ。 アメリカは北の脅しに屈するようなかたちの大きな経済負担を望まないであろうし、日本には拉致問題がある。そして韓国には根強い反北勢力がある。結局、日米韓は、ある程度までの、すなわち社会経済体制が中国型となることは認め、軍事基地化することは認めない程度の、中国主導による北の新体制を許容するのではないか。 それによって短期的な危機を回避し(経済大国となった中国にもはや「自壊の恐喝」戦略はない)、長期的な危機が高まることを最大限抑えうるという考え方である。トランプのいう体制保証とは、そのことを前提として、中国への対応を視野に入れているのだろう。金正恩の求める体制保証も、アメリカの圧力を逃れるばかりでなく、むしろ中国の圧力に対する擁護をアメリカに求めるとも取れる。 つまり永井陽之助流に考えれば、現在の極東問題の本質は米中間の均衡力学(パワー・バランス)である。 その意味で今回、ロシアと日本は蚊帳の外に見える。しかし文在寅大統領がヤルタ会談におけるチャーチルというわけではない。二国間の綱引きという意味では、韓国もまたバイプレイヤー(重要な役どころではあるが)であり、北朝鮮の隣で同じ力学の波間に漂っているのだ。 そしてその右隣に日本がある。日本の選択はもちろんアメリカとの連携であるが、極東情勢は常に流動的にとらえるべきで、この会談の成り行きを注視する必要はある。あえて蚊帳の中に飛び込むこともないが、対岸の火事を決め込んでノホホンとしているわけにもいかないのだ。 今はまだ夢のように語られている南北の統一が、もし実現に向かって歩みはじめれば、そこに新しい方程式が登場することになる。簡単には進まないだろうが、台湾の政治的方向性、香港の民主化要求、アメリカの政策転換など、深層の地殻変動は予断を許さない。 こういった極東の均衡力学は当分続くであろう。列島はこの力関係から逃れることはできない。これまでの歴史にはなかったほどの巧みな舵取りが求められている。 文化地政学の多変数方程式においては、勝利か敗北かが解答ではなく、いかなる勝利かいかなる敗北かが解答なのだ。そして正解が判明するのは、相当の時間を経てからであることが多い。