「息子がオウム真理教の信者に連れて行かれた!」大学生の救出を決断した捜査一課の手段とは
---------- 30年を超える記者生活で警察庁・警視庁・大阪府警をはじめ全国の警察に深い人脈を築き、重大事件を追ってきた記者・甲斐竜一朗が明らかにする刑事捜査の最前線。最新著書『刑事捜査の最前線』より一部を連載形式で紹介! ---------- 【続き】「桶川ストーカー殺人事件」…警察の失態と怠慢による初動ミスが招いた悲劇
指示は被害者の“押収”
国民の生命と暮らしを守るため、事件を捜査し、犯罪を未然に防ぐ――。これが「警察の任務」とされる。ただ現実の社会では利害関係や人間関係が複雑に絡み合い、事件性を判断するのが難しい事案も多い。捜査には「公平中正」と人権への配慮も求められる中、的確な判断に基づき、責任と役割をどう果たしていくのか。最前線に立つ捜査員らの動きを追った。 家宅捜索の目的は、被害者の“押収”だった。 1995年3月19日の日曜日。大阪府箕面市の住宅街で午前、21歳の男子大学生が自宅からオウム真理教大阪支部の信者らに連れ去られ、大学生の父親が「息子が男たちに車に乗せられて連れて行かれた」と110番通報した。 ただ、この大学生も信者だった。この日の大阪府警捜査1課の当直責任者だった特殊班の班長は「事件性は薄い」と判断し、「同じ信者同士だから事件性はないと思います」と捜査1課長の川本に報告。これに対し川本は「俺は現場に行くから聞き込みを続けろ」と指示し、現場へ急行した。 閑静な住宅街に到着すると、目に飛び込んできたのは、「息子を返せ!」と泣き叫んでいる大学生の母親の姿だった。その様子を見た川本はすぐに大学生の救出を決断する。「お母さんが返せ言うとるのに、事件やないか」。特殊班に、その日のうちにオウム真理教大阪支部を家宅捜索するよう指示した。そして命じた。「被害者を押収しろ」 当時、オウム真理教を巡るトラブルが各地で起き、疑惑の集団とみられていたが、坂本弁護士一家失踪事件や目黒公証役場事務長拉致事件などの犯罪との決定的な関わりはまだ明らかになっていなかった。そういう状況下でのオウム真理教への強制捜査(家宅捜索)の決断に、大阪府警刑事部の各課長ら幹部は非常参集した。中には「宗教法人へのガサとは1課長もむちゃくちゃするな」と漏らす幹部もいた。ましてや川本が指示した捜索差し押さえの目的物は被害者だった。 捜索で「差し押さえるべき物」を被害者である大学生にすることを意味していた。「人間の差し押さえ……。そんな令状出まっか?」。集まった府警幹部らは抵抗した。それまでに人間を差し押さえるための家宅捜索を見たことのある幹部は1人もおらず、思いもよらない発想だった。川本の判断について法的な見解を求めるため府警本部の刑事総務課に問い合わせた幹部もいたほどだ。