「息子がオウム真理教の信者に連れて行かれた!」大学生の救出を決断した捜査一課の手段とは
「世間は絶対、反対せん。大丈夫や」
だが川本自身は抵抗されても取り合わなかった。「判断基準の大きな一つは、世間が批判するかどうかや。世間は絶対、反対せん。大丈夫や。これは認めてくれる」「そもそも違法かどうかより、被害者の救出が最優先や」 捜査1課は川本の指示通りに捜索差押許可状を裁判所に請求した。発付された令状の差し押さえるべき物の欄には、大学生の名前が記されていた。 その日の夜、大阪市中央区のオフィス街。特殊班が機動隊を引き連れて現れた。オウム真理教大阪支部が入る7階建てビル1階部分のショーウインドウには松本智津夫元死刑囚(教祖名麻原彰晃)のポスターが貼られ、教団関係とみられる本が並んでいた。機動隊員を先頭にして特殊班の班員らが突入すると、ビル内には信者ら約30人がいた。特殊班は、畳敷きの道場から被害者の大学生を救出し、逮捕監禁容疑で信者3人を逮捕した。 信者だった大学生は「誘拐や拉致とは違う」として自宅に戻るのを渋ったが、府警の要請を受けた知人の女性が「そんなこと言うたらあかん。警察に被害届を出して」と説得し、ようやく応じた。捜索では「お楽しみ袋」と書かれた茶封筒も見つかった。信者たちの財産の内容を詳しく記入した書類が入っていた。教団が信者に寄進させようとしていたものだったとみられる。川本は「だから『お楽しみ』というわけや。自宅の坪数や時価、車の種類とかが書いてあった」と説明した。 続きは<「桶川ストーカー殺人事件」「栃木リンチ殺人事件」…警察の失態と怠慢による「初動ミス」が招いた悲劇>で公開中です
甲斐 竜一朗(共同通信編集委員)