ライオネス飛鳥が見た全女の最後「売れないような土地や、株とかもだまされて買わされていた」引退後に選んだ道が“銀座の街”だった理由
ライオネス飛鳥が後輩たちに「まず目標を立てろ」と伝える理由
──現在も、女子プロレスを見に行かれたりしていますか? 「いま、試合を見に行くのはジャガーさんの周年くらい。ジャガーさんは本当に師匠で、家族ぐるみのつき合い。千種はたまに会ったりするけれど、みんなで会って飲みに行くとかはなないですね。ジャガーさんの周年イベントや、昔組んだことがある選手の試合があったら会場に行きます。それ以外は、ほぼ見に行っていないです。 『極悪女王』や、YouTubuに上がっている昔の動画を見てプロレスに興味を持ったら、ぜひ会場に行ってほしい。全女の選手がいるマーベラス(代表:長与千種)やディアナ(代表:井上京子、ジャガー横田選手も所属)は、全女イズムがある。全女の選手がいないスターダム(新日本プロレスリング株式会社の子会社)がダメと言うわけではなくて、それぞれの団体の面白さがある。でも『極悪女王』が気に入った方には、ぜひ全女イズムが流れている団体を見てもらえれば、また何か新しい発見があると思います」 プロレスの話題になると、語気を強めながらまっすぐな瞳で語りだす。言葉一つ一つに気持ちがこもっているのを感じた。 「プロレスを見て感じたことを、自分の人生に反映してくれたら嬉しい。後輩にも、まず目標を立てろと伝えていました。目標を立てて、それに向かって努力することが大事。目標に向かって頑張ることは、泣いたりかっこいいことばかりではないけれど、逆に人間っぽい部分が、プロレスだとかっこいいと感じるんですよ。 もしも目標に達しなくても、努力すれば違った形の答えが見つかると思うんです。そのためには、まずは目標を立てないことには頑張りようがない。だからこそ目標を決めてそこに向かって頑張ることが一番重要なのではないかな」 飛鳥さんの笑顔を見て、ドラマで描かれていた何事にも全力な姿と重なった。 ライオネス飛鳥 1963年7月28日生まれ、埼玉県出身。日本の元女子プロレスラー。1980年に全日本女子プロレス入団。同年5月にデビュー後は、リングネームをライオネス飛鳥に改め、長与千種とのタッグチーム『クラッシュギャルズ』で大ブレイクを果たす。全盛期には全日本ジュニア王座、全日本シングル王座を獲得。タレント活動としてはテレビドラマへの出演のほか、「炎の聖書」で歌手デビュー。人気絶頂のなか、1989年夏に現役を引退。引退後は、女子プロレスの解説やカーレースにも出場。1994年にはプロレスラーとして現役復帰。再び、人気を博した。しかし、度重なる怪我や病気により、2005年にふたたび現役を引退した。現在は、銀座に会員制スナック「gangs」を経営している。 池守りぜね
池守りぜね
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