二十歳のとき、何をしていたか?/松岡修造 たったひとり、世界で戦った20代。 孤独を知るから今がある、 コートで愛を叫ぶ全力応援団長。
若者よ。驚きの目、 ポップ・アイを持つべし!
学生時代からめざましい活躍を見せる松岡さんの姿を、日本のマスコミは追った。世界に挑めば、その結果をスポーツニュースはいち早く報じた。しかし当の本人はひたすらテニスに集中していた。 「日本が沸いてるなんて実感はなかったです。僕からしたら注目されてるなんて意識は全然。それより、ただいいテニスをしようと思ってました。そのために、失敗したら振り返ってノートに書くんです」 必勝のためには、まずは己を知るべし。パソコンに打ち込むのではなく、手書きというのが大事なんだそうだ。 「心の声を言語化させて、何がよかったのか、いけなかったのか、自分の考え方をまとめた説明書を作り上げる作業が必要でした。それがあれば、なんとなく動くことがなくなっていくんです。松岡修造というプレーヤーが、相手とどう向き合えばいいか。試合のたびにデータを当てはめていく。こういうことを、感性だけでパパッと計算できる人は天才なんですよ。僕はしっかり書かないとダメでした。手を動かして書いて読み返すと、まるで鏡で自分を見ているような感覚になるんです」 そうした日々の積み重ねによって、松岡さんは27歳のとき、ウィンブルドンベスト8という輝かしい記録を残す。その後、31歳で現役を卒業したときは、後進の育成に力を入れようと考えていたという。 「ジュニアの強化と、応援をしたいと思っていました。テニスの楽しさをより広く伝えられたらと思って、テレビの世界に入っていったんです。すると、流れがスムーズに変わっていきましたね。錦織圭さん、北島康介さん、羽生結弦さん、浅田真央さん、大坂なおみさん。日本から世界に羽ばたくトップスターの活躍を、リポートしたり取材したりする機会をいただけた。こんなラッキーな人はいないと思います」 世界を知っているからこそ、戦う人たちの苦悩や葛藤、喜びがわかる。だから、テレビの向こうの松岡さんは時にははじけるように快活で、時には苦しそうに顔を歪める。スポーツに詳しくない視聴者たちを沸かせ、引き込んでくれるのは、松岡さんの真摯で嘘がない声の力だ。 「今の仕事は強さも弱さも関係ないんです。たったひとりの勝負と違って、みんなで挑むことだから。どっちが向いているかというと、今のほうが断然楽しいんです。僕はテニスで成功したように見えているかもしれないですが、終わってからのほうが成功だと思ってるんですよ。だって、25年間近く『くいしん坊!万才』を続けられてますし、スポンサーさんとのご縁も長く続いている。それってすごくありがたいことですし、人と人との付き合いや絆があってこそなんですよね。だから20代で結果が出なくても焦らなくていいよって、僕はそう思います」 最後に、松岡さんから特大のエールを。 「20代で大事なのは、まさに〝POPEYE〟だと思います。ポパイじゃなくて、ポップ・アイ。つまり驚きの目です。こんなチャレンジってあるんだ! こんなチャンスもあるんだ! そんなふうに、目をまん丸くして驚いちゃうくらい、身の回りに新鮮さを見つけることが必要なんです。ポップ・アイを持てば、必ず出合える。ただ反対に、ぼんやり・アイっていうんですかね。そんな目ではチャンスを見過ごしてしまう。もったいな過ぎます。ぱっちり目を開いて、好奇心のポップ・アイで世界を見てください。君ならきっとできる!」