15年ぶりに選手権へ帰ってきたカナリア軍団が残した確かな爪痕。「2024年の帝京」が築き上げた指揮官と選手たちのフラットな絆
[1.2 選手権3回戦 明秀日立高 1-1(PK5-4) 帝京高 U等々力] 「本当に選手たちがいろいろな想いを持って1年間やってきて、駆け足のように進んできて、『ああ、選手権に出るんだ』という感覚になって、スタートしてみたら開幕戦になって、駆け足のように進んできましたけど、1回の敗戦で、一瞬でなくなる儚さというか、いろいろな方に作ってもらっている大会が、一瞬で終わるんだなと感じています」。 【写真】「美しすぎ」「めっちゃ可愛い」柴崎岳の妻・真野恵里菜さんがプライベートショット披露 雌伏の時を経て、15年ぶりに選手権へ帰ってきた帝京高(東京B)を率いる藤倉寛監督は、敗退が決まった直後の取材エリアで、そう話した。 この指揮官が興味深いのは、常に客観的な視線を持ち続けていることだ。以前に「私には嬉しい、悲しいという感情が欠如しているので」と冗談交じりに話していたことがあったが、いつも物事を極めて冷静に捉えている印象がある。 3回戦の明秀日立高(茨城)戦は、「外から見ていたら、自分たちのやりたいことは消されているなと思いました」と藤倉監督も振り返ったように、とりわけ前半はいつもの流れるようなパスワークが鳴りを潜め、意図的なチャンスを作り出すこともままならない。 0-0で迎えたハーフタイム。指揮官は選手たちを観察していたという。「相手のスピード感とかテンポをはぐらかそうとはしているんでしょうけど、それがうまく行かない中で、『じゃあこのノリでどこまでできちゃうの?』みたいなところで、選手たちは『やれてない』とか『うまく行ってない』という顔ではなくて、『このまま行っちゃおうぜ』みたいなテンションで帰ってきたので、『ああ、そっちを選ぶんだ』と。『「それでも行ける」という気持ちを持っているんだな』ということはハーフタイムに話しているのを聞いてわかったので、変にこっちで『そうじゃない』という話はしないで送り出しました」。 藤倉監督は開幕戦の試合後にも、1-1と追い付かれたシーンに関して、似たようなニュアンスのことを話している。「おそらく失点した後も声を掛けることすらもできないで、ゲームがスタートしたと思います。ただ、今年のチームは1年間総じて、そういった時にはキャプテンの砂押を中心に、チームがピッチ内で解決してきた場面を見てきましたし、劣勢の準備とか、残り5分でリードされるかもしれないといったところは、ゲームの前に話はしていたので、そういった部分では選手たちが落ち着いて対応していた印象でした」。 選手たちが自主的に解決策を探り、最適解を見つけていく力は、この1年を通じて少しずつ身につけていったものだ。キャプテンを務めるMF砂押大翔(3年)は選手権の予選中に、こんなことを教えてくれた。 「練習中も試合中も自分たち主体でやらせてくれる監督なので、春先は自分たちがその意図に気付けていない部分があったんですけど、夏を過ぎてからは藤倉先生の気持ちもだんだん自分たちに伝わってきて、練習中も自分たちで声を出して士気を高められている部分もありますし、試合中も『外から言われて修正するのではなく、中で修正するのが一番だ』とは言われてきているので、チーム全体でそういうことを意識できるようになってきたと思います」。 とりわけ今年の帝京の3年生たちの気質と、指揮官のスタンスはマッチしていたように思う。「この学年の子たちは割とこういうお祭りが好きで、『持ち上げてもらったら、どれだけ頑張れるんだ』みたいな子たちの集団です」という彼らのオフ・ザ・ピッチでの振る舞いにも、藤倉監督はこの大会期間中で新たに気付いたこともあったようだ。 「こういう大舞台で周りにちやほやされたりすることが、どっちに転がるかなと思ったんですよ。でも、そこをうまく吸収しながらやるんだなあと。それはサッカー以外のところでもそうで、凄く大人な対応をしたりとか、高校生の一面を持ったりとか、そこで『オンオフが凄く上手いな』と気付かされたというか、『彼らはそういう一面をちゃんと持っていたんだな』と思いました」。その思考や視点は実にフラット。ある意味で監督っぽくなくて面白い。 明秀日立戦は後半開始早々に失点を喫し、1点を追い掛ける展開に。加えて後半の途中で大黒柱の砂押が負傷交代を強いられるアクシデントも発生し、チームは窮地に追い込まれたかのように見えたが、29分にいずれも途中投入されたMF大屋雅治(3年)とFW宮本周征(2年)が絡み、やはり交代で投入されたFW土屋裕豊(3年)が同点ゴールをゲット。選手たちは逞しく逆境を跳ね返す。 「ああいう慌ただしいゲーム展開の中でも、途中から入っていった選手たちが自分の長所を出して、流れを引き寄せていったところでは、感心させられるようなプレーもありましたね」(藤倉監督)。 もつれ込んだPK戦に臨むに当たり、選手たちへ話したという言葉に、この指揮官の本質が滲む。「相手のPKが外れたのを喜ぶようなことはせずに、ちゃんと自分たちが決めて、自分たちのキーパーが止めて、そこで喜べるようにやっていこうという話はしました」。 1年時の冬に川崎フロンターレU-18から帝京へと転籍し、コーチ時代から2年間にわたって藤倉監督の指導を仰いできたDF田所莉旺(3年)は、その人間性の部分に感銘を受けたという。 「藤倉先生は今まで会ってきた指導者の人たちの中でもちょっと特殊というか、伝え方が感情的ではないので、自分には逆に響いていますね。『応援されるチームや人間になりなさい』ということを年の初めに言われましたし、サッカーノートを書いているんですけど、藤倉先生の言葉だけで埋まっちゃうみたいな。監督というよりは、本当に先生という感じですし、『試されてるのかな?』と思うこともよくあって、自分はそこでモチベーションを上げてもらえているのかなと思っています」。 PK戦のキッカーは選手たちが決めたそうだ。「基本的にPKの順番は選手が自分たちで決めているので、蹴りたい子が堂々と蹴ったという形ですね。この素晴らしいピッチの中で、自分たちの良さはきちんと出せていましたし、それがちゃんと結果にも繋がりましたし、PKで勝ち上がりの勝敗は決まりましたけど、あそこで追い付けたゴールは、この大会を象徴するような場面だったと思います」。指揮官は選手たちを称える。全国8強には、あと一歩及ばなかった。 おそらく藤倉監督は、特別なことをしているような感覚は持ち合わせていない。選手が自主性を持つための促し方について問われても、やはりフラットな答えを残している。 「今どきはそういう子たちが多くなってきたというか、主体的にやることも私たちが特別なことをやっているわけではなくて、自分たちでそういう判断をすることが当たり前のようになってきているだけで、別にこっちが仕掛けたわけではないので、そういうチームに彼らが自分たちでなっていったのだと思います」。 実に幸せなマッチングだったのではないだろうか。選手たちの人間的な成長を一番に考える指揮官と、そのスタンスへポジティブに呼応し、結果という形で指揮官の想いに応えた選手たち。長い間閉ざされていた冬の全国へと続く扉をこじ開け、カナリア軍団の止まっていた時計の針を動かしたのが、『2024年の帝京』であったのは、きっと必然だった。 (取材・文 土屋雅史)