伝説的スピードスケーター・岡崎朋美「明るさと積極性を忘れず、新たなことに挑戦したい」
~状況が揃っていたら現役を続けていた
トップアスリートの現役引退についても聞いた。30年以上に渡り氷上を滑り続けてきた中、スケート靴を脱ぐ決断は人生を大きく左右するものだったはずだ。 「五輪出場レベルの選手になれたのは、社会人になってからです。長野五輪が27歳の時だったので、結婚や出産を考えると現役はそこまで長くないと感じていました」 北海道・釧路星園高時代はインターハイ4位が最高成績だった。高校卒業後に入社した富士急行で素質が開花、20代になって日本を代表するスケーターとなった。 「海外の選手は母親になってからも競技を継続していましたが、それは周囲のサポート環境が整っているからだと思います。当時の日本は環境がそこまで整っていなかった。結婚、出産してからは、常に時間との戦いだと思っていました」 2007年に結婚、2010年に第一子を出産後も現役を続けたが、当時の国内環境的にも第一線を退くことを考えるのは自然な流れだった。 「子育て支援等が一般的になってきたのも比較的、最近で羨ましい。トップレベルで戦うには思った以上に練習をしないといけないが、現実的に難しい時代でした。大事な家族がいて自分のことだけでは生きていけませんから」 2013年の年末におこなわれた翌14年ソチ五輪代表選考会で結果が出せず、現役引退を表明した。
~年齢ごとのカテゴリーで世界記録を出したい
第一線を退いた岡崎氏だったが、2020年3月に出場した第12回マスターズ国際スプリントゲームズ(カナダ)で快挙を成し遂げる。F45(45歳以上50歳未満)カテゴリーの500M・スプリントサマリー(4種目総合ポイント)で世界新を記録して金メダルを獲得した。 「マスターズは愛好者も多く、楽しんで競技を行う人が多い。でも私は『世界記録を出したい!!』という気持ちが強かった。現役時代に世界2位までは行ったことがあったので、チャンスがあればその先を目指したかった」 長野五輪前には当時世界2位の記録を出したこともある。その際はいわゆるノーマルのスケート靴だったが、直後に歯がカカト部分から離れて記録に直結しやすいスラップスケートが導入され世界記録への道のりも遠ざかってしまったという。 「マスターズに向け富士急行の若い選手たちについて短期集中で追い込みました。現役時代のイメージはあっても身体はついてこなかったのですが、本気で世界記録を目指しました。自分なりに本当に充実した時間を過ごせました」 カテゴリーの異なるマスターズとはいえ念願の世界記録を樹立した。「昔の気持ちを思い出しました。今後、年齢を重ねてもそれぞれのカテゴリーで世界新記録を目指したいです」と充実した表情を見せる。