マツダ・ロードスターが“自動運転”になる日
図2を見ると、人の心の状態を5つに分類しているのが分かる。それぞれを色分けした上で、最も理想的なのは緑の状態だ。健常者は、自然にこの緑の状態を保とうとする。ところが、いわゆる医学的「うつ」の状態に入ると青の領域になる。反対側には黄色があってここは「好感」として示されているが、落ち着きを失えば「躁」状態となる。赤は「嫌悪」で理想にはほど遠いし、最悪なのは灰色で示される「快感/痛感」で、医療の介入が必要とされる錯乱状態である。 こうした分類で心の定量化を行った上で、そのメンタルな状況がどこに該当するかは、声帯の緊張度による声の変調を測定すると判定できるのだそうだ。われわれも日常的に「声に元気がない」と感じることからもわかるように、声はメンタルと直結しているのである。 測定にはスマホを活用する。スマホに分析用のアプリをインストールして、通話の度に声を記録し、サーバーに送って分析を行う。その結果を「元気圧」と「活力値」としてアプリに表示する仕組みである。現在では基礎研究の段階なので、この表示するところまでに止まっているが、やがてはこのデータをクルマに送って、自動運転の制御におけるドライバーの状態として取り込もうと言うのだ。
「出しゃばらない」自動運転の可能性
そうした環境を整えた上で、マツダは自動運転の新しいあり方を考えている。それは「出しゃばらない自動運転」だ。フロー体験を軸に据えて、原則的にはドライバーが運転する。しかし、ドライバーが運転における「認知」「判断」「操作」のいずれか、あるいは全てにおいてミスをした時、バックアップとしてコンピューターがこの「認知」「判断」「操作」を代行する。できればドライバーのフロー体験を邪魔しない様にしたいとのことだ。 ただし、ミスをミスと気づかせないことがトータルで見て良いことかどうかはこれから判断していくべきだろう。そして、状況が予断を許さないような場合には、決然とドライバーの操作をオーバーライド(上書き)して、コンピューターがコントロールする。 考え方としては現在のスタビリティコントロールに近い。原則的にはドライバーが運転し、破綻を未然に防ぐためだけにコンピューターが介入する。本当にこの方式の自動運転が有用に機能すれば「危険運転」は消えてなくなる。社会がそれを許容すれば、このシステムを搭載したクルマは速度制限を必要としない未来があるかもしれない。 ドライバーがスポーツドライビングによるフロー体験で人間としての普遍的価値を謳歌しながら、社会的リスクを生じさせないという、従来の二律背反に対するブレークスルーが可能になるかもしれない。 すでに書いたようにマツダの研究はまだ基礎段階で、具体的な製品になる時期は何とも言えない。しかし、マツダの技術者はこうも言った。「5年では難しいですが、10年ではかかり過ぎです」。7、8年先には、何らかの形で人間のコンディションを反映させて安全を高める装置が現れる可能性があるのだ。 余談だが、マツダと東京大学では、スマホでの音声分析の社会実装を行っており、この研究に協力してくれる人を広く募っている。この「MIMOSYS」というアプリはAndroid用のみだが、Google play から無料でインストールできる。マツダの研究趣旨に賛同する人はインストールしてみてはいかがだろうか? 筆者もこの研究に大きな興奮を覚えた。高齢者はもちろん、それ以外のクルマに乗る人全てに喜ばしい未来が来るならと、先週インストールした。 マツダ・ロードスターに自動運転が備わる時、スポーツカーはその潜在的な反社会性から歴史上初めて解放されるのである。 (池田直渡・モータージャーナル)